横浜大空襲

昨日の5月29日は、69年前の昭和20年に横浜が空襲された日である。
朝の9時からB29等で空襲されたというのだからひどい。ほとんど日本軍の防衛体制は消滅していたということだろう。

この日の空襲の目標は、東京大空襲と同様に日本の庶民の住む住宅地で、戦意の喪失を目的とするものだった。
東神奈川駅、平沼橋、横浜市役所、日枝神社、大鳥国民学校を囲む一帯で、徴密な住宅地だった。
一応、米軍の言い訳としては、日本では航空機製造も、住宅地に混在する零細な町工場で部品が作られていて、航空機の大工場をいくら爆撃しても、航空機生産が落ちないというものだったが。
この空襲で、約1万人の方が亡くなられ、京浜急行の黄金町駅の階段には死体が積み重なったというのは有名である。
目標の一つの日枝小学校は、今私が住んでいるところの真ん前であり、共進橋を渡るとき、いつも「ここに焼夷弾が落ちたのか」と思う。
集団的自衛権などをもてあそぶ人は、大都市の空襲がいかに悲惨なものか、一度記録を見ると良い。
横浜大空襲で亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたい。

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