吉野氏が、沖縄返還時の日米間の密約を東京地裁で証言されたことは、マスコミで大きく出ている。
吉野氏には、1990年ごろ一度だけお会いしたことがある。
当時、吉野氏が就任されていた、トヨタ系のシンクタンク「日本国際問題研究所」に、横浜でのサミットの開催について、アドバイスをいただきに伺ったのだ。
吉野氏は、横浜市の顧問を務めておられたのだが、多分細郷道一市長との関係だったのだろう。
大変温厚で、ソフトだが、一目で芯の通った人柄が分かる方だった。
どのようなアドバイスをいただいたかは、憶えていないが、「サミットにはシェルパという事務局がいる」ことを初めて聞いた。
頂上に登るのを手伝うのだから、事務局をシェルパと呼ぶのだが、この辺は欧米のユーモアである。
今回の吉野氏の証言は、今後歴史的に見ても大変大きな意義があると思う。
外務省は、「親子孫三代外務省」というように、一家意識、内部意識が強く、歴代の事跡、先輩がやったことの正否は、後輩があげつらったりしない伝統がある。
たとえ自身が行った事とは言え、密約を証言したことは大変な勇気を必要としたことだろうと思う。
密約は、すでにアメリカの公文書公開では明らかにされており、冷戦時代も変わったのだから、完全に公開されて良いことなのだ。
外交交渉には、秘密があることは仕方がない。だが、一定の時間が過ぎ、公開しても影響がなくなった段階では公開し、国民にその秘密の意味も含めて知らせる事が、長い目で見て国民の歴史教育にもなるのである。