核密約問題から分かる二つのこと

今月、非核三原則をめぐる日本政府とアメリカとの「密約」の公開は、戦後史に残る大事件だが、そこから二つのことが分かると思う。
一つは、非核三原則等の日本の軍事政策に、昭和天皇の意思が強く反映していただろうということであり、もう一つは毎日新聞の凋落に見られるジャーナリズムのあり方である。

元参議院議員の平野貞夫が2004年に出した本に『昭和天皇の極秘指令』がある。あまり知られていない本だが、昭和天皇の本音が窺える大変興味深い本である。
昭和天皇のお好みは、一高、東大出の官僚で、前尾繁三郎、灘尾弘吉、福田赳夫らであり、田中角栄は好きではなかったようだ。それは、当然だろう旧帝国大学は、天皇の官吏を養成するために作られた大学で、そこの秀才を好んだのは当然である。
その前尾は、暗闇の牛と言われ、池田勇人から宏知会を引き継いだが、政治力のなさから大平との争いに負け、衆議院議長に祭挙げられてしまう。
その前尾の側近くにいたのが平野貞夫である。

そして、この昭和天皇の「極秘指令」とは、部分核停条約の早期批准だった。
天皇は、前尾に批准が遅れていた部分核停条約の批准を命令し、田中角栄首相のロッキード問題で揺れる国会で、条約を批准させる。
ここで窺えるのは、昭和天皇の非核政策への強い意思である。
歴代の自民党内閣は、1960年代以降は、核保有を目指して来たが、結局できなかった。
それは、日本人の核アレルギーの大きさもあるが、最終的には昭和天皇の意思だったと私は思う。

そして、沖縄密約のときの「西山太吉事件」とそれへの毎日新聞の対応は、現在の同紙の凋落につながっていると思う。
かつて、朝日、読売、毎日は、三大新聞と言われた。今日では、朝日、読売、日経だろうか。
西山事件で、毎日新聞が権力と戦うことが出来ず、政府の圧力と経済界の不買運動に結局屈したことが、読者の信頼を失い、今日の凋落になったのだと思う。

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