『テレビは総理を殺したか』 菊池正史(文春新書)

著者は、日本テレビ政治部の記者で、自民党、旧社会党を担当したそうで、小泉純一郎元首相が、自民党総裁選に出馬する時のエピソードが紹介されている。

その時、著者は政治部にいて、小泉純一郎と田中真紀子が議員会館で会うシーンのスクープ映像を指揮していた。

ここは、スクープ映像の実現の裏側がわかって面白いが、現実のドラマが出てくるのは、ここだけ。

他は、テレビ、新聞等で言われていることばかりで、著者の独自の視点や考察を感じるところはない。

その意味では、「テレビは総理を殺したか」は羊頭狗肉の上手い題名であり、私も題に騙されて買ってしまった一人である。

詳しいのは、小泉と共に、小沢一郎のことのみで、他の歴代首相の誕生、辞職にテレビがどうのように係わったが、詳しく書かれているわけではない。

私が実は、一番期待したのは、安部晋三首相の後に出て、すぐに辞めてしまった福田康夫首相のことだが、彼についての記述は残念ながらほとんどない。

福田は、辞める時の記者会見の

「あなたとは、私は違うのです」

の発言のみしか報道されないが、一番自民党的で、長期安定政権になると思ったのに、1年も持たずに辞職したのは、非常に不思議だった。

辞職の理由については諸説あるようだ。

だが、福田康夫が首相を辞めざるを得なかったのは、すでに自民党が小泉純一郎時代以降、旧来の形ではもう成立できなかったためなのだろうか、これは今後よく考えられるべき問題だと思う。

全体としてみれば、「テレビは総理を作ってはいないし、殺してもいない」のは、当然である。

なぜなら、テレビもメディアなのだから、メディアにできるのは、本来コンテンツを伝えることで、その増幅や編集はできても、自分で勝手にコンテンツを作りだすことはできないからである。

出たのが2011年2月で、3・11の1年前なので、全体に古いなという感じもする。

現在、安部政権は衆参共に、絶対多数で安定しているように見える。

だが、安部政権は、小泉純一郎という「劇薬」を使ってしまった以後の自民党の苦しさ、矛盾の塊のようにも見える。

それは、小泉政権の後を継いだ安部晋三の「新自由主義」がすぐに行き詰まり、福田、麻生と旧来の自民党に後退したことの結果でもある。

現在の安部政権は、経済政策は新自由主義だが、政治的には極めて保守という矛盾を抱えている。

中国、韓国のみならず、アメリカも危惧するのは、その政治的な超懐旧性で、それは現在の自由世界の基調にひどく反し、なじまないものなのだからである。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. iina より:

    思うようには行かないのが人生
    そんな劇薬だった小泉元首相の講演を、横浜で聴いてきました。

  2. ご苦労さまです
    彼は、やはり変人で、反原発も、彼が本当に思っていることでしょう。だが、それで社民党など一緒にやろうという気は全くないと思います。
    彼の本質は、新自由主義なのですから。

    だが世界的に見ても、新自由主義は、皮肉なことにグローバル化が進行したために無効になりました。

    なぜなら、企業は利益を自国では使わず、世界で最ももうかる国に投資するようになってしまったからです。
    自国に再投資させるにはどうしたら良いか。
    方法は、簡単で、福祉、医療、介護、教育、文化等の分野を盛んにさせることで、これは海外には逃避できない分野だからです。