東京新宿の厚生年金会館ホールが閉館になったそうだ。
売却され、ヨドバシカメラが取得したそうで、これも年金改革の一環らしい。
ここでは、多くのコンサートに行った。
最初は、高校2年生の夏、「世界ジャズ・フェスティバル」が行われたときの、マイルス・ディビス・クインテットだった。このときの様子は、『マイルス・イン・トーキョー』としてレコードになっている。このときのメンバーは、当時異動が激しく行われたときで、テナー・サックスは、サム・リバースになっている。彼は、他のLPには入っていないので、大変貴重なLPだが、当日はそれが誰なのか、ほとんど誰も観客は知らなかった。
その他、アート・ブレイキーはサンケイ・ホールだったと思うが、デューク・エリントンやデーブ・ブルーベック等は、厚生年金で見たと思う。
当時は、外国から来たタレントの公演場所としては、厚生年金とサンケイ・ホールくらいしかなかったのである。
また、1981年には大滝泳一が、大ヒットの『ロング・バケーション』のコンサートをやり、超満員で驚いた。その半年前、「やっとLPができましたから」と郵貯ホールで松本隆をゲストにコンサートをやったが、そのときはスカスカだったのだから。
その1年後の1982年には、イギリスのパンク・バンドのクラッシュのコンサートがあり、これは実に素晴らしいものだった。
多分、この頃から日本の全国各地にホールができるようになり、その分厚生年金会館ホールの役割も低下して来たのだろう。
1970年代まで、日本にはホールの絶対量が極めて少なかったのだ。
まさに時代は変化している。