シェイク・ローを堪能する

日曜日も午前中は、何もないので高岡に出て、氷見線に乗換えて越中中川で降りて高岡市美術館に行く。土曜日に北日本新聞を読むと、ここで高岡市の勝国寺所有の『洛中洛外図』が特別展示されているというので見に行ったのだ。

私は、旅行に行ったら地元の新聞を読むことにしていて、去年も新聞で富山県美術館で『円谷英二展』をやってゐるのを知って、富山市に行って展示会を見たのである。

氷見線に乗ると、岡本章さんが乗ってこられる。富山県立図書館が新装オープンし、ガラス工芸美術館と共に立派とのことで、話題になっていたが、これのコンサルも岡本さんがやられたのだとのこと。

岡本さんは、今や日本で一番有名な図書館のコンサルなのである。

さて、『洛中洛外図』だが、国宝のではなく、重文のもので、色彩が薄く、全体が暗くてよく見えずに、これはやや外れだった。

            

だが、中に祇園祭りのお練りが書かれているが、山車ではなく、普通の神輿であるのが興味深い。今の立派な山車になったのは江戸中期以後のことだろう。

高岡の中心地や駅に行くと、「24時間テレビ」の募金をやっている。まだこんなことをやっているのかと思う。二流タレントが、「まだ生きていますよ」とPRするイベントに過ぎないだろう。

2時半から、ヘリオスでコンサート。最初はブラジルのギターとボーカルのチガナ・サンタナで、非常に抒情的で美しい歌に、ベースと打楽器が付く。だが、この音楽に女子高校生らしい親に連れて来られたらしいのは、体を動かしたくてうずうずし、音楽に合わずに困惑している様子だった。こう言うのを私は、AKB病というが、音楽を聞くと体を動さずにはおられない病気である。

          

次のクアトロ・ミニマルと言うのは何かと思うと、サカキ・マンゴーのユニットで、メキシコのギター、韓国のチャンゴなどが付く。かなり暗い音楽で、「お祭りに相応しいのかね」とつい思ってしまう。OHPで墨絵をホリゾントの壁に投影するが、あまり意味を感じない。

最後は、セネガルのシェイク・ロー、ギター、ベース、ドラム、パーカッションにサックスの編成で、同じセネガルのユッスー・ンドールもやっているンバラを展開する。

                      

非常に色彩感のある響きは、ユッスーとも共通し、歌いながらティンバレスを叩くのも同じであり、彼らはほぼ同じ音楽である。

ただ、ユッスーの方が若々しくて、世界的に理解しやすいポピュラリテーが優越しているようだ。

どちらがンバラを作りだしたというのではなく、彼らのような1950年代の連中が新しい音楽を作りだしたと考えれば良いのだろう。

6時過ぎに終わって再び電車の関係で、福野を後にして福光に行く。

さかえという若い主人がやっている店で飲む。「スキヤキで来たのです」というと、「家の嫁さんは、元はスチールバンドオーケストラをやっていて、福野市職員だったんですよ」と教えてくれる。

それから、福光の方が福野よりも大きく、城端や井波など、庄川から少し離れたエリアの方が開けていたことも聞く。

弥生時代でもそうだったが、米作は現在のように平野にではなく、山から丘に変ったあたりに水田が作られたのである。

沖積地は、水を十分にコントロールできず、洪水の心配があったので、山の出口のような場所に農業地帯が形成されたのである。

スズキの刺身が非常に美味しい店で、楽しく酒を飲んだ。

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