『かたりの椅子』

永井愛の新作は、文化行政と官僚体制を題材としていて、評判が良いようだが、私は二つの点に疑問があった。
それは、国の官僚批判をするのは良いが、それがあまり出来の良くないキャリア官僚を相手にしていることと、中盤で人物同志の会話が携帯電話で処理されてしまうことだ。
どちらも、ある種の「禁んじ手」に見えた。

東京の郊外の市・可多里市のアートフェスティバルのプロデューサーに竹下景子が雇用される。
そこでは、市民の実行委員会が計画を検討しているが、若手美術家・山口馬木也の斬新な案と財団理事長銀粉蝶の陳腐な案が対立していた。銀粉蝶は、元文部科学省のキャリア官僚だったが文部科学省では出世できず、かたり市の財団に天下りした設定。

「かたりの椅子」とは、市民から椅子を提供してもらい、それを加工して町に展示しようと言うもので、こんなアイディアのどこが面白く斬新なのだろうか。
これは、立川市でアート・プロデューサーとしてストリート・ファニチャー等をやった北川フラムのことが参考にしているのか。
劇全体の官僚批判は、永井愛が務めた新国立劇場の理事会のことで、遠山敦子理事長の下、演劇の芸術監督鵜山仁が途中解任されたことをヒントにしているらしい。

竹下らは、地域の人間と斬新なアイディアを実現しようとするが、銀粉蝶や部下で都庁から出向している若手官僚(大沢健)によって妨害される。
そして、最後は市役所の課長(でんでん)が両者の板ばさみからノイローゼになり、美術家のアトリエにあった「かたりの椅子」に放火してしまう。
この期を捉えて銀粉蝶は、記者会見で大逆転して、実行委員会の連中を個別撃破し、理事長案を承認させてしまう。そして、竹下も理事長に懐柔されてしまう。

銀粉蝶が演じる文部科学省のキャリア官僚出の理事長が実にせこく、低級でひどい人間なのだ。官僚批判をするのも良いが、敵を矮小にして批判しても、どこに意味があるのか。

古い話で恐縮だが、かつて文芸評論家の本多秋五は、「戦後文学をその鞍部で乗り越えるな」と書いた。
これは、物事を批評するときに、その最低の部分で批判するのは、礼儀に反するのではとのことである。
これもやるなら、別に文部科学省を擁護するわけではないが、もっと高いレベルで官僚批判をすべきだと思う。

永井愛は、今回は作・演出だが、劇作に専念した方が良い。
誰か、他の人に演出を任せた方が良い作品が出来ると思う。
井上ひさし亡き後、永井愛も期待の作家だが、この程度では困るのではないか。

世田谷パブリック・シアター

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