9・11の世界貿易センター・ビル事件があって、ちょうど9年。
あの日私は、磯子区滝頭の脳血管医療センターに入院していて、朝起きるとテレビが大騒ぎしているので、何事かと思った。
前夜は、患者なので10時前には寝てしまい、ニュースステーション等の「実況」は、見られなかったのだ。
なんとも簡単に崩壊してしまった世界貿易センター・ビルだが、あそこでは1983年10月に昼食をとったことがある。
2001年当時は、すでに民間会社に売却されていたそうだが、あのビルは、もともとはニューヨーク&ニュージャージー州港湾局の建物で、今も土地は、港湾局の所有だと思う。
当時私は、横浜市港湾局にいて、海外への横浜港の広報宣伝、所謂ポートセールスを担当していた。
その年はアメリカ東海岸のニューヨーク、ニューオリンズ、ボルチモアの各港を訪問し、関係者にセールスする一団を引きいて成田をたった。
ワシントン空港で小型機に乗り換えてボルチモアに行き、最初のセールスをした。
当時、ボルチモアは、港湾エリアを再開発していて、先進的モデル都市として有名だった。
だが、再開発と言っても、広いので、老朽化した施設は半ば置き去りにして、新たに大型施設を作るのだから日本とは根本的に発想が違う。
リアス式のように入り組んだ海岸線の岸辺には別荘があり、そこに直接ヨットやボートが横付けされているのは最高で、団員の不動産会社の人も
「日本ではこれは出来ないんだなあ」と、その美しさに驚嘆していた。
さらに南下してニューオリンズでセールスすると共に、ミシシッピ河の脇で「世界河川博」という万博をやっていて、週末には見学に行く。だが、万博と言っても日本の地方博程度の中身なのには、驚く。
世界的に見れば、万国博と言うものも、そんな程度なのである。
そして、最後の目的地のニューヨークに行く。
ケネディー空港で、ホテルでのパーティーの際に、ギブ・アウェーとして贈呈するための、ネクタイ等の段ボールの山が税関で引っかかり、「これは輸入品だから税金を払え」と言われ、空港をなかなか出られないトラブルもあった。
勿論、言われたとおりに小額の金を払って無事通過。
お金持ち日本人客への嫌がらせである。
翌日、世界貿易センター・ビル内のニューヨーク州港湾局を訪問する。
プレゼンや意見交換で公式訪問は終了して、向こうの幹部を招待して昼食をとった。
20階くらいにあったレストランで、普通のメニューだったと思う。
当時は、かなり有名で、一般の観光客もいた。
だが、その世界貿易センターにいた間に気になっていたのは、地下鉄の振動と音だった。
ビルの地下には、地下鉄線が通っていたので、その振動と音が聞こえたのである。
「随分脆弱な構造だな」と感じたのを憶えている。
そのことを、日本に戻って建築の専門家に聞くと、「あれはきわめて軽く作っているから、そうかもしれないね」と全く気にしない。
あのビルが、ストンと落ちるように崩れたのは、まさに限界までの軽量化した構造があったとのこと。
そうでなければ、「あんなにきれいには壊れない」のだそうである。
確かに「きれいに壊れた」が。