浪花節映画の時代劇版 『唄祭り赤城山』

深作欣二は、東映東京の助監督時代、「浪花節映画」をやったことを言っていた。
浪花節映画とは、まずプレ・スコで浪花節を録音する。それに合わせて映画を作るものであり、多くは「母物」だった。
彼によれば、この浪花節映画は、撮影が楽でスタッフには作りやすくて良かったのだそうだ。
人のいない海岸や山を母と娘が歩いているのと、スタジオでドラマ部分を撮影すれば映画ができてしまうので、楽で安上がりで、そこそこ当たる作品が作れたのだそうだ。

多分、この浪花節映画は、大衆演劇の節劇(ふしげき)から来たものだと思われる。
節劇と言うのは、歌舞伎の義太夫に代わりに、浪花節を入れ、それに合わせて芝居をするもので、戦前には大変人気があったジャンルらしい。
浪花節は、本職がやることもあるが、時には劇の中の役者が語ることもあった。
私は、20年くらい前に、下北沢の本多劇場のオープン記念で、中村とうようさんが企画した「にっぽん人の喜怒哀楽」での故二代目片岡長次郎が演じた節劇を見たことがある。
そこで片岡は、舞台の上手で浪曲を語りつつ、時には劇の中に出てきて芝居もやった。
そして、「俺もよくやるよ・・・」の捨て台詞は、まるでブレヒトの異化効果で、大いに笑った。
いずれにしても、日本の大衆芸能における語り物の強い伝統に基づくものである。

さて、阿佐ヶ谷のラピュタで上映された近衛十四郎特集の『唄祭り赤城山』は、村田英雄と藤島恒夫の唄が入るもので、浪花節映画の時代劇版というべきものだった。
話は、言うまでもなく国定忠次(近衛十四郎)と板割の浅太郎(品川隆二)で、悪代官を斬って赤城山に登り、さらに逃亡する筋である。
物語の中心は、品川にあり、近衛はクライマックスに出てきて、場をまとめる役割を務める。これは、商業演劇に良くある座長芝居と同じで、
長谷川一夫も出番はほとんどなく、いい所に出てくるだけが多かった。それが日本的リーダーのあり方なのである。
監督の深田金之助は、戦前に日活のカメラマン、編集から稲垣浩の助監督を経て、戦後東映で監督になった人で、二流作品専門だったが、作り方はきわめて上手い。役者の使い方、画面構成、カッティングが極めて正確だった。この辺は、最近の、何とかの一つ憶えのように「長まわし」と「即興演出」しかできない監督は是非見習ってほしいものである。

この映画の前に、大都映画の『大空の遺書』と『忍術千一夜』も見たが、どちらも音声と画面がひどくて見るに耐えない。
昔のピンク映画のひどさ程度だった。
大都映画って、その程度の会社だったのだろうか。

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