ルン・プロ革命の可能性

中国の反日デモの若者の映像を見ていて、久しぶりにルンペン・プロレタリアートという懐かしの左翼用語を思い出した。
ルンペン・プロレタリアートは、マルクスからは反革命の温床とされ、アナーキストからは革命の主体とされた。
だが、ロシア革命の成功で、社会主義革命は、組織された労働者と前衛党の指導によってのみ成功するとされ、ルン・プロは問題外とされた。
1960年代の日本では、ブンドなどの反革共同諸派は、
「ルン・プロ集団にすぎない」と中核、革マルからは、盛んに嘲笑されたものである。確かに、先進国ではそうだろう。

だが、今の中国は違うようだ。
50%近くの若者の失業率、日本とは比べものにならない大きな貧富の格差、共産党の一党支配の政治的独裁、すべて暴動、反乱、革命がいつ起きても不思議ではない状況である。
唯一、大多数の国民が中国共産党を支持するのは、「かつての絶対的飢餓から共産党が、とにもかくにもすべての人間が食えるレベルまでに生活を引き上げてくれた」という50代以上の世代までの感謝の感情である。
だが、すでに生まれたときには、貧しいが、絶対的窮乏という状態でなかった若者たちにとって、中国の現状の貧富の格差と政治的、社会的自由のなさは、到底耐え難いものになっているに違いない。

だから、いずれ、中国全土を若者による反乱、革命が襲うことになるだろう。
社会主義国中国で「革命」が起きるという歴史の皮肉。
それも、かつて毛沢東が予言し、実現したように「地方から都市を襲う」ことになると思う。

ただ、この若者による「民主化革命」が、かつてのような暴力によるものかどうかは、また別の問題である。
インターネット、ツイッターによる言論戦が中心になるのかもしれかもしれない。
20世紀末の東欧の「ビロード革命」が、衛星放送の浸透による情報の多様化から起きたように。

そして、巨大な隣国・中国が民主化されることは、膨大な民衆のエネルギーを掘り起こすことであり、経済的、社会的、文化的にも日本にとっては大変良いことである。
日本は今後も、極端に言えば、中国と言う巨大な世界第一の大国に、好むと好まざるとに関らず、言わば「パラサイト」していくことしかその生存の道はないのだから。

さて、日本にはルン・プロは存在しないのだろうか。
そんなことはない。勿論いる。
彼らは、コン・ビニや外食産業等で、フリーターと言う名で働き、その日暮らしの生活を送っている。
これも、豊かさの中の貧困と言うべきだろう。

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