仙谷官房長官が、自衛隊を「暴力装置」と言ったことが大問題になっている。
そして、これは仙谷氏が、学生時代は過激派だったことの証拠だと騒いでいる者もいるようだ。
でも、この暴力装置とレーニンが言ったのは、軍隊のことではなく、国家のことである。大体、軍隊、自衛隊が暴力でなくて一体なんなのだろうか。
日頃、国家の防衛には軍隊が必要と言っている人たちは、他国からの攻撃に対して非暴力で対抗すると言うのだろうか。全く矛盾している。
レーニンの「国家・暴力装置論」は、国民統合の象徴のように考えられていた国家を、労働者、農民を抑圧する権力、暴力装置だとしたことが、目新しく斬新だったわけだ。
実際、当時の帝政ロシアは、ツアー(皇帝)の独裁の、欧州では一番遅れた国で、今日で言えば途上国のようなものだった。
議会制民主主義はほど遠く、共産党(当時は社会民主党)等の反体制派への圧制は極めて過酷なものだった。ノンポリのドストエフスキーですら、シベリアに送られたほどの弾圧だった。だから、暴力装置説も有効だったのだ。
だが、皮肉にも、国家が本当に暴力装置になったのは、スターリン政権下の旧ソ連の大量虐殺だった。
そして、この暴力装置説を根本から覆したのが、わが日本の吉本隆明の「共同幻想」説である。
吉本は、『共同幻想論』の中で、個人幻想、対幻想、そして一番大きなものとして集団を統合するものとして共同幻想を位置づけた。その中で、一番上位になるのが国家だとした。
仙谷由人官房長官は、実はきちんとレーニンは学習されなかったのではないだろうか。
聞けば、東大ではフロント派だったそうだ。
フロント派は、過激派の中では一番穏健な、悪く言えば日和見の党派で、イタリア共産党の「構造改革論」の流れをくみ、1960年代初頭に日本共産党を除名されて出来たものである。
だから、彼らはレーニンの論文など「学習」してはいなかったのではないか。
仙谷氏もそうだったのだろう。
元過激派とは、片腹痛いのではあるまいか。