1950年代末、日本各地で小児マヒが大流行した。
ポリオ・ウイルスによるもので、ポリオは土中に無数に存在しており、子供が泥遊び等をすると感染した。
だが、ポリオに感染して発病する者は極めて少なく、多くは免疫が出来て自然治癒してしまい、数パーセントの者が小児マヒ患者になった。
ところが、日本中の衛生状態が向上し、特に下水道が整備され、子供は土と直接には触れないようになった。
すると免疫のない子供ばかりになり、結果としてポリオの大流行になった。
農林省の一技官の小林桂樹は、あるときポリオ患者の母親(市原悦子の名演技)から掛かってきた間違い電話から、ポリオの恐ろしさに目覚め、自分の仕事と家族を捨て対策に狂奔することになる。
アジア・テレビの記者大村昆や、伝染病研究所の木村功らの助力を得て、彼は厚生省にポリオ対策を促し、それは一大キャンペーンとなり、ついには生ワクチンの輸入になる。
だが、それは小林が地方への左遷を告げられ、また愛人だったバーの女水谷良重とも別れる日だった。
最後、「この作品は、一青年のキャンペーンにヒントを得て作られたもの」とのタイトルが出る。
一青年で、大村昆のモデルとなったのは、当時NHKの記者で、ポリオ・キャンペーンに活躍した上田哲である。
NHK労組の委員長で、後には参議院議員から都知事選挙等に何度も出た上田哲である。
この作品を見て、松山善三、そして彼が育った松竹大船映画の指導者だった城戸四郎の思想について考えた。
城戸四郎は、フェビアン主義者だったそうで、この作品に描かれたようなヒューマニズムが、彼やその思想の多分一番近い表現者である木下恵介、さらに松山善三らのものなのだろうと思う。最も、最後は『香華』の後、城戸は木下とも喧嘩して、彼を大船から追い出してしまう。ヒューマニズムどころではなくなったからである。
松山善三は、この後もサリドマイド児を主人公にした『典子は今』の難病ものを作っている。
日本映画界に、まだ「良心的作品」と言うものがあった時代の作品である。
銀座シネパトス 小林桂樹特集