『新宿鮫・眠らない町』を見て、本物のロックを聞きたくなる。
ブルース・スプリングスティーンを聞くのは、あんまりなので、ヴァン・モリソンにする。
1993年の「ア・ナイト・イン・サンフランシスコ」、ライブ版である。
1991年のウォーマッド横浜を開くため、イギリスから本部のトーマス・ブルーマンらが来て、日本サイドの中村とうようさんはじめ、田村光男、北中正和さんらと会議を開いた。
そのとき、トーマスから「誰か招聘メンバーに加えたいものはいるか」
との問いに全員が声を揃えて言ったのが、
「ヴァン・モリソン!」だった。
だが、トーマスは難しいだろうなと言った。
長く欧州にいたことのある秋山美代子さんによれば、
「ヴァン・モリソンは昔オーストラリア公演に行ったことがあり、その飛行機の長旅に懲りているから」とのことだった。
彼は、悪くいえばアルコール中毒に近い状態なので、元々飛行機嫌いの恐怖から逃れるためだろう、機内での深酒になってしまい散々だったらしい。
すると中村とうようさんが言った。
「彼をイスラム教に改宗させれば良いんだ。そうすれば酒が飲めなくなる」
この発想には皆が驚いたが、一体誰が彼を改宗させるのだろうか。
「飛行機が駄目ならシベリア鉄道、そしてナホトカ港から船で横浜に来てもらったら」と言う案も出たが、結局無理と言うことになった。
彼は、気まぐれと言うか、極めて感情の変化の激しい人間なのだ。
1980年代に彼は一度歌手を引退し、故郷のアイルランドで牧師になると宣言し、実際に引退コンサートをし、そのライブ盤も出た。だが、数年で現役復帰した。
中村とうようさんによれば、
「引退コンサートのライブ盤の解説を書いたが、すぐに復帰して来たので、『騙したのか』と俺まで言われてひどい迷惑だった」とのことだった。
要は、そのときの感情や気分で行動し、表現するアーチストなのである。
こういう人は、良いときと悪いときの落差が激しいので、ライブは常にスリリングなものとなる。
「サンフランシスコ・ライブ」は、その最高に乗ったときのレコーディングである。
2枚組みCDの内、特に2枚目が素晴らしい。
久しぶりにヴァン・モリソンの声にしびれた。
いつかヴァン・モリソンが来日されることを切に望むものである。
コメント
『いつかモイカ河の橋の上で』 中野吉宏 著 (第三書館)
副題は「会社を休んで59日間 地球一周」とある。
大学を出てフリーターをしながらお金を貯め小さな会社をつくった30代後半の男。一生懸命働くものの不景気も手伝い気持ちは空回り。ちょっとした出来事がきっかけとなり、突然、仕事を放り出し、大学時代以来2回….