『漫才太平記 かみがた演芸』 吉田留三郎(三和図書)

吉田留三郎は、京都大学を卒業後、戦前に大阪の新興演芸部から、その後進である松竹芸能文芸部に長くいられ、吉本の長沖一氏と共に、関西の大衆芸能の「生き字引」と言われた方である。
この本は、昭和39年に出されたものだが、大阪、関西の芸能について、多分歴史的に叙述した最もすぐれた本の一つだろう。
朝日新聞夕刊に連載されたものなので、記事は断片的だが、出てくる芸人の数、芸の多彩さはすごい。

中で紹介されている、大正九年の大阪南地三友倶楽部のプログラムによれば、落語のほか、どじょうすくい、軍事談、女道楽、音曲、琵琶、中国曲技、尺八、ステテコ(多分ステテコ踊りだろう)、その他剣舞と言ったものも当時は随分人気があったようだ。
戦後の平和の時代になり、剣舞、軍事談と言った「好戦的な芸能」は、駄目になったようで、時代と大衆芸能は極めて深く関係している。
多分、そうした好戦的な芸能は、日清、日露の戦争に日本が勝ったことで人気になったもののように思う。
反対に、日清戦争の結果、日本で完全に廃れた芸能の一つが、明清楽である。
これは尺八、月琴等の中国風の楽器の演奏で、町を流して歌うもので、幕末以降全国でかなり流行ったものだが、日本が清国に勝ったことで、誰も聞かなくなり、急に廃れたのだそうである。

勿論、漫才のルーツの一つである江州音頭などについても触れられている。
これを読んであらためて思うのは、昔の方が、実は多彩で、変わった芸能があったと言うことである。
これを統一化してしまうのは、言うまでもなくテレビに代表されるマス・コミである。

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