文化平等主義について

誤解されているようなので再説します。

このブログをはじめ「文化平等主義」にしようと思ったのだが、硬いのでやめた。

総ての国、地域、民族、人種等の持つ文化は本来平等で、等価だというのが私の立場である。

それは、音楽評論家の故中村とうようさんが、1980年代にワールド・ミュージックがブームのときに、よく言っていられたことだった。

「アフリカやアジアのポピュラー音楽がワールド・ミュージックではなく、総ての音楽を等価に見る精神がワールド・ミュージックなのだ」と言っておられた。

ブラジルのセルタネージャという泥臭い音楽も、アメリカのカントリーも、日本の演歌も、共に地方の比較的下層の大衆音楽として等価に聞くことができる。

クラシックが文化で、演歌は低劣と言うのは、「文化的態度」ではないと私は思う。

戦後すぐに太宰治は、

「文化的とはなにもハイカラにすることではなく、本物と偽物を見分けることだ」

と書いていたと記憶している。

演歌にも優れたものとつまらないものはあり、クラシックにも面白いのと退屈なものはあるだろう。

要は、個々それぞれの作品を見て、聞き、それをきちんと評価することだと思う。

いかがでしょうか。

ご参考までに、当ブログの最初の2004年11月4日の記事をご覧下さい。

どうぞよろしく。

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