BSフジの日曜日朝に、「あの日、この歌」という番組があり、今日は北山修の『あの素晴らしい愛をもう一度』だった。
勿論、北山修の作詞、加藤和彦の作曲だが、従来この曲は、加藤の結婚を祝って北山が作詞し、それに加藤が曲を付けたと言われていたそうでだ。
だが、本当はあるフォーク・デュオ(赤い鳥だろうか)から曲を依頼され、加藤が1時間くらいで簡単に曲を書き、それを北山が貰って、1日くらいで作詞し、それを鼻歌交じりの留守番電話で送ったのだそうだ。
つまり、二人ともとてもいい気分で、良い曲ができた。
そのできがあまりに良かったので、依頼主のデュオには断ってフォーククルセーダーズで歌うことにしたとのこと。
そして、この二人がかつては、肩を並べて同じものを見ていたのに、今はもう心通わないと言うのは、確かに愛が続いた末の結婚を祝福する歌としてはおかしい。
前から、この曲の愛は、どこか同性への愛情のようにも思っていたが。
だが、この同じ方向を見て、同じものを見ている、という構図は、北山修に言わせれば極めて日本的な心理で、それは日本の母と子の関係に帰結するものだそうだ。
西欧では、小さいときから子供は、母親のもとを離れることが多く、このような同じ方向を向いて、同じものを見る、という関係は起きないとのこと。
そうなると日本の誇る小津安二郎の映画の画面は、全くこの同じ方向を向いて同じものを見ている、という構図になる。
そこに心理的安定を見出すとすれば、まさに小津映画は、母と子が同じものを見ている作品である。
コメント
こんにちは
そのデュオはシモンズです。依頼者は、直接なのか、あるいは第三者かは不明です。
ちなみにフォークルではなく、加藤和彦と北山修、とクレジットされています。
小津映画、なるほどそうですね。東京物語で海に向かって並んでいる老夫婦の姿が目に浮かびます。
なるほどね
シモンズね、確かに、この「同じものを見ていた」と言うのは、異性ではなく、同性のように思っていたが、やはりそうだったのですね。
有難うございました。