梶原一騎原作の人気漫画「愛と誠」の1974年から1976年にかけて松竹で映画化されたシリーズを見た。
主演女優の早乙女愛は、同じだが、相手役の太賀誠は、最初が西条秀樹、2本目は南条弘二、最後の完結編は加納竜になっている。
要は、女優早乙女愛の映画なのは、やはり松竹的である。
財閥の娘の愛は、幼少時にスキー場で、誤って衝突事故を起こそうとなったとき、貧乏人の息子誠に助けられる。
だが、誠は、木に激突し、額に旗本退屈男のような三日月傷をおってしまう。
この事故が、愛のトラウマとなり、彼女はことあるごとに誠の危機を救うことになる。
と言うより、どこまでも誠を追いかけて行く愛の姿は、ほとんどストーカーである。
誠は、高校でやたらに喧嘩沙汰を起こすが、ここはまるで鈴木清順の『けんかえれじい』であり、諸所に清順ばりの色彩テクニックが見られる。
監督の山根成人は、これによって「こんな話は嘘ですよ」と言っているようだ。
2作目も監督は山根だが、名門校を退学した愛と誠が、最底辺の高校に入学し、スケバン連中との対決になる。
その「影の大番長」が、ツルゲーネフの『初恋』を愛読する文学少女の多岐川由美で、彼女たちとの対決が話の中心になり、まるでスケバン映画である。
多岐川は、このときすでに24歳なので、高校生はつらいが、セーラー服姿は結構サマになっている。
この多岐川由美も早乙女愛も、目鼻が顔の真ん中に集まっている「チンクシャ顔」で、私は好きではないが、この手の顔はかなり人気があるようだ。
ストーカーらしい思いつめた表情には向いているが。
ここで、一番面白かったのが、多岐川に恋焦がれている、権太という知的に低いがやたらに力のある大男だった。
多岐川が愛と誠の愛情の真実に敗れて自殺したとき、怒り狂って教室の教壇等を投げてしまうのが最高だった。
完結編は、監督が南部英夫に代わり、前作とはかなり違う感じになっている。
愛と誠に対決する悪の権化は、柴俊夫で、彼は、学園の理事長で、政財界のフィクサーで右翼的人物の大滝秀治が、女中に産ませた子である。
また、権太は、大滝の本妻の子であり、知的障害の彼を大滝は溺愛している。
さらに、愛の父親は根上淳で、早乙女財閥と政治化との関係を取り持っていたのが大滝で、その疑惑を国会で根上と大滝は追及される。
要は、当時問題となっていた「ロッキード疑惑」を反映しており、大滝は自分の罪を被って切腹してしまうが、ここは原作者梶原の、児玉誉士男らへの想いであろう。
また、誠の母親として、場末酒場の女根岸明美が出てきて酔っ払う。
まるで大映の渥美マリの『でんきくらげ』『いそぎんちゃく』等のシリーズである。
最後、愛は悪の一味との戦いで傷つき、海岸で愛の腕に抱かれる中で死ぬ。
愛の早乙女愛は、完結編で見ると、相当に巨乳になっており、さすがに清純派の物語はもう無理だっただろう。
いつそのこと、大映の渥美マリのように『愛と誠のでんきくらげ』にすれば面白かったと思うが。
全体として、松竹大船の枠から出ようとして、日活的になろうとしたが果たせず、最後は大映的になってしまったというべきだろうか。
衛星劇場