演劇集団円の新作は、エドワード・オルビーの『動物園物語』を基にしたいう鈴木秀勝作・演出の『ウェアハウス』で、主演は橋爪功と金田昭夫。
都会の隅の地下、教会の地下に作られたスペースで、暗誦を語る会をやっていた人たちがいる。
その中に、今まで一度も暗誦をしなかった真面目なサラリーマンが、金田昭夫。
そこに正体不明な男の橋爪功がやって来る。
橋爪は、最初はおずおずと、しかし次第に調子に乗って金田に話しかける。
そして、最後は凶暴な精神を明らかにし、橋爪はナイフで金田に踊りかかり、だが自分の方にナイフを向けて死んでしまう。
つまり手の込んだ自殺をする。
ここに、加藤某が起こした秋葉原事件を想起しても良いだろう。
勿論、これは21世紀の日本ではなく、1950年代末のニューヨークのことである。
その意味では、オルビーの作品は、すごいと言わざるをえないだろう。
だが、この劇はどうだったろうか。
正直に言えば、あまり賛成できないできだった。
第一におかしいのは、金田明夫が暗誦する詩が、ギンズバークの『吠える』であることだった。
このオルビーの戯曲の精神は、当時のアメリカのエスタブリッシュメントな文化、体制に対する呪詛のようなものであり、それを体現するのが、橋爪であり、金田は本来それに対する体制を表現すべきものである。
だが、ここでは両者とも反体制的になっていて、これでは全くの対比がない。
鈴木秀勝の演出は、シアター・コクーンでの『写楽考』、パルコでの『ドレッサー』、あるいは新国立劇場での『胎内』も少しも良くなかったが、ここでも感心できなかった。
これでは役者が可哀想と思うだけである。
シアター・トラム