『シャンハイ・ムーン』

今、東京では二つの上海劇が行われている。
渋谷、BUNKAMURAの『上海バンス・キング』と新宿サザン・シアターでの『シャンハイ・ムーン』である。『上海バンス・キング』は、見てきた方の話だと、「まるで同窓会みたいで、懐かしく、また祝祭的なもの」だったらしい。今更という気もするが、左翼音楽メロドラマとしては、大傑作なので、いいでしょう。

さて、井上ひさしが小説家魯迅を主人公とした『シャンハイ・ムーン』も、1990年以来の再演である。
上海市には、私も5回行ったことがあるが、他の都市と異なり、独自の文化を持った場所で、戦前から多くの日本人が行っていた。簡単に言えば、外国人が作った国際都市なのだ。
昭和9年の夏、上海内山書店に、中国国民党の迫害を逃れ、魯迅が避難してくる。
内山完造が経営する書店は、現地の中国人と日本人の交流の拠点でもあった。
そこに、医者の須藤、歯医者の奥田らが来て、魯迅を診察する。
魯迅は、長い逃亡生活や家族関係から、心身がひどく蝕まれている。
彼の心身をどのように治癒して行くか、と言うのがこの劇の構造であり、当時の井上ひさしの特徴の一つである。
そのため、各人の説明が長く、冗漫になっている部分があり、「まだ、この頃は井上も、劇作が完璧ではなかったのだな」と思う。

上海では、日本軍の中国侵略に伴い、日・中間の対立が高まっていた。
その中で、在上海日本人居留民団は、中国人と仲の良い須藤、奥田らを、「中国のスパイだ」として、暴行したり、診察所に投石したりしていた。
だが、彼らは中国人と親善を深めることを止めない。

最後、須藤らは、魯迅に日本の鎌倉に亡命することを薦め、一旦は魯迅もその気になる。
だが、やはり上海に留まって作家活動することを決意し、主に心の問題だった病からも解放される。

魯迅役は、初演では高橋長英だったそうで、今回の村井国夫は、柄から見て少々立派過ぎるが、さすがにこなしている。この人は、本当に何でも出来る役者である。

この劇を見て、改めて思ったのは、日本人のアジア人への排外主義の根強さである。
そして、現在の外国人の地方参政権の問題への、「2チャン右翼」の反対等を見るとき、その性向は、さして変わっていないのではないか、と思った次第である。

そして、月曜日に見た岡田利喜とチェルフッチュの退屈劇が、何もこちらにくれないのに対し、きちんと何かを与えてくれる、井上の劇のようなものの方が、本当の芝居だと確信した一夜だった。
よく、「感動をくれて有難う」と言う、バカな表現がある。
だが、何も見るものに与えてくれない岡田や平田オリザの劇など、「ぼったくりバー」みたいなものである。

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