やはり知事が象徴的存在なことを示すのではないか

大阪府の橋下知事が、知事を辞職して大阪市長選挙に出ることになった。
橋下氏のやり方や特に教育関係の考え方には疑問があるが、それよりこの知事辞職が意味する都道府県と市、特に政令指定都市との関係を別の角度から考えてみたい。

前にも書いたことがあるが、都道府県は本来明治時代に、中央政府の意思を全国の市町村に伝えるために作られた命令、指示の伝達・中継機関である。
戦後では、広域に行うべき警察行政、高等教育、産業政策、さらに脆弱な市町村を援助する業務も行うようになった。
だから、都道府県の仕事は、市町村や産業団体への指導・監督が主となっている。
その結果、都道府県は、実はわれわれ市民に直接関係することは極めて少なく、その結果知事は、外部との外交・応接などの象徴的、偶像的な存在となっている。
簡単に言えば、具体的には知事の仕事は政令市市長に比較して少ないのではと思われる。
人気タレントで、多忙だったはずの橋下氏が、その業務に不満を持ったのも、当然だろう。
そこで、日々業務に追われ、具体的課題の多い大阪市長になりたくなったのは、ある意味で無理のないことであると思う。
もっと仕事をしたいのだと。

横浜市と神奈川県では、一般には県の方が上と考えられている。
例えば、議員でも市会議員を務め、ある程度の期間を過ごした後、県会議員になることがかつてはあった。
これなどは、明らかに県の方が市より上と思われていた証拠だろう。
だが、最近では県会議員の後、市会議員になるという人もいる。
そこには様々な事情があるだろうが、日々業務に忙しい市役所の行政に相応しい方が就任されるということだろうと思う。

実際には、予算規模も神奈川県よりも横浜市の方が遥かに大きく、また市役所の中で県の存在を意識することはほとんどない。
私も、県と関係したたのは、区役所の福祉課長をやっていたとき、児童扶養手当の監査を受けたときだけである。
それは、児童扶養手当には、当時県からの補助金が入っていたので、その事務監査を受けたのだ。
その感想を言えば、「県の方は市町村を指導・監督することは非常にお上手だな」というものだった。

いずれにしても大阪市長選挙は、大変注目される選挙である。

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