『川上音二郎・貞奴展』

音二郎没後100年・貞奴生誕140年記念で、茅ヶ崎市美術館で『音二郎・貞奴展』が開かれているので、茅ヶ崎在住のMさんのご案内で見に行く。
川上音二郎は、明治時代に自由民権運動の一環として壮士芝居を始め、『オッペケペ節』をヒットさせた。
また、アメリカ、欧州を巡業し、特に1900年のパリ万博での公演は大成功で、ここで座員が唄をレコードに吹き込んでいるが、これが日本人のレコード録音の最初である。

さらに、この川上音二郎一座からは、藤沢浅二郎、高田実、伊井容峰らの後に新派を作る名優たちも出る。
見て思うのは、悪くいえば山師、良く言えば快男子としての川上音二郎の人間としての面白さ、スケールの大きさである。
一番すごいのは、1998年9月にわずか4メートルの手漕ぎボートで東京築地を出て、音二郎と貞奴の二人で西を目指し、様々な困難に遭遇しながら翌年1月に神戸にまで行ったことであろう。
暴挙と言えば暴挙だが、命がけの冒険と言えば冒険である。
だが、これを十二分に宣伝に利用したようで、この人は転んでもただでは起きない男。

パリでの音二郎一座の公演の写真も沢山出ていたが、『京鹿子娘道成寺』等の分かりやすいものは、さすが。

そして、一番興味深かったのが、1894年に日清戦争が起きたとき、音二郎はすぐに現地に行った後日本に戻り、それを劇として上演したことで、その芝居番付も多数展示されていた。
それを見ると、新聞記者、あるいは俳優の川上音二郎が現地の戦闘を報告すると言うものだったようだ。
言ってみれば、今のテレビのニュース・ショーのレポーターの役であると言うわけだ。
また、上野の忍ずの池でも実際に戦闘劇を再現して見せたようである。
これも、今テレビでよくやっている再現ドラマと同じ発想であろう。
現在のテレビのレベルは、明治の川上音二郎から大して進歩していないことがよく分かった。
音二郎の死後、貞奴は、川上児童楽劇団を結成・養成し、帝劇でも公演した。
まるでAKB48というわけである。

パリで吹き込んだ川上音二郎一座の唄声は、11月27日に行う『横浜で交差した音』の「日本編」、岡田則夫さんの解説でも掛けるので、ご興味のある方は是非、横浜市栄図書館に。
午後2時からで、入場無料 先着30人です。

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