歌笑から旭へ

歌笑から旭へとは、三遊亭歌笑から小林旭である。
一体どういう関係か、と思われるだろうが、小林旭の『恋の山手線』の元歌は、三遊亭歌笑の『歌笑純情詩集』ということなのである。
『歌笑純情詩集』とは、戦後の落語界で爆笑王だった歌笑の十八番で、「われたらちねの母から生まれしとき  」というやつで、大ヒットした。
ところが、歌笑は昭和25年に銀座で米軍のジープに撥ねられて死んでしまう。
その時、代役を務めたのが、同じ芸風の柳亭痴楽で、彼は『痴楽綴方教室』で、歌笑の笑いを継ぎ、高座とラジオで人気者になった。
そして、この「綴方教室」をヒントに、演芸作家の小島貞二さんが作詞したのが、小林旭の『恋の山手線』なのである。

勿論、当時コロンビア・レコードで活躍していた「演歌の竜」こと馬淵玄三からの依頼によるものだそうだ。
小島さんの本『こんな落語家がいた』(うなぎ書房)に出ていた話である。

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