広津家三代とは、小説家の広津柳郎、広津和郎、そして孫の広津桃子である。
和郎が伊藤孝雄で、桃子は樫山文枝。
昭和の初め、祖父の広津柳郎が死ぬところから、昭和38年に広津和郎が熱海で死に、そこに友人の志賀直哉が訪ねて来るところまで。
だが、勿論話の中心は広津和郎が、松川事件裁判に彼の筆で戦ったことである。
娘の桃子の語りかけで、広津和郎と松川事件が描かれていく。
広津和郎は、親友の宇野浩二から促されて、彼らに送られてきた松川事件被告の文集『真実は壁を通して』を読んだことから被告の無罪を直感し、次第に裁判に深入りしてゆく。
その前段の第一幕の、昭和初期の妻との不和、ヒステリー女にストーカーされるなどを通して、和郎の複雑で不思議な性格が描かれる。
戦時中も、和郎は戦争体制に従わず、志賀直哉などの小説家仲間と麻雀に興じ、骨董趣味に韜晦する。
そんな父を、愛国少女桃子は、批判的に見ている。
だが、戦後、桃子は父の偉さに気付かされる。
そして、晩年の偉業とも言うべき松川事件裁判への打ち込みには、桃子も全面的に父を支えて協力し、最後は被告全員の無罪を勝ち取る。
松本清張のノンフィクション小説『日本の夜と霧』は、今日の歴史的検証を経た目で見れば「事件の根源はすべて米占領軍」という過ちが随分あるが、間違いなく松川事件と帝銀事件は、占領軍とその周辺にいた者の仕業だと私も思う。
広津和郎が、言論で松川事件裁判に加わっていたのは、当時小学生だったが、私も知っていた。
広津と宇野浩二は、共産党員でもなく、裁判を支援する連中の言動にも違和感しかないが、被告の無罪は間違いないと裁判の言論戦に邁進する。
この辺は、今の文学者とは少々違う偉さである。
樫山文枝は、時として優等生的なわざといらしさを感じることもあるが、ここではほとんどそうしたものはなかった。
それは、彼女が心底から広津和郎を尊敬し、また和郎と桃子の親子関係を好ましく思っているからである。役者は、自分が信じている者を表現シュルトきが一番良いのは、当然だが。
伊藤孝雄は、外形のよさだけの役者だと思っていたが、セリフが上手いのに感心した。
作吉永仁郎 演出高橋清祐
紀伊国屋サザン・シアター