勝新の方が上だった

久しぶりに渋谷の原田尊志さんのレコード店エル・スールに行く。
土曜日の夕方だったので、お客さんが沢山いた。

中で、いつものとおり、ストレンジとアジアの棚のレコードを探すと、アジアのところに1954年に「吾妻徳穂舞踊団」がアメリカ公演に行った時のコロンビアのLPがあった。
前も1枚買ったことがあるが、今回のジャケットには演奏者の名前が列挙されていた。
一番最初は、勿論杵屋勝東治であり、次は杵屋勝丸だった。
言うまでもなく、杵屋勝東治は、勝新太郎、若山富三郎兄弟の父親であり、杵屋勝丸は、勝新太郎の長唄時代の芸名である。
そして、ずっと後の方に和歌山富三郎の名があった。

これは、勿論弟の勝新太郎の方が、早くから長唄修行をしていたからでもあるが、やはり勝新太郎の方が、長唄では若山よりは優れていたことを示すものに違いない。
和歌山富三郎とは、若山が、当時和歌山富十郎のところで長唄修行していたので、貰った芸名である。
レコードの中身は、勿論三味線は合奏なので、誰がどう弾いているから分からない。

原田さんによれば、こうした昔のLPは、盤も厚くて良い品質だそうで、確かに重く、音もモノラルだが、悪くない。

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