昨日書いた『めくらのお市』もそうだが、江戸時代を背景とした時代劇では、代官など、支配者が悪辣な連中で、農民等に苛斂誅求を行うように描かれる。テレビの時代劇ではほとんどパターン化していた。
だが、もし江戸時代の徳川政権が、そのように過酷な政治体制をとっていたら、300年も体制が続くことはなく、また正確な数字は忘れたが、人口が増加することもなかったと思う。
最近の歴史研究では、江戸時代は穏健な政治による、大変繁栄した時代だったとされている。
では、なぜ映画やテレビの時代劇では、江戸時代を庶民が生きにくい時として描くのだろうか。
それは、時代劇の発生を見る必要がある。
よく知られているように「時代劇」という言葉は、映画監督の伊藤大輔が作った。
昭和初期の、サイレントの末期である。
それまでの剣劇、チャンバラ映画とは違うという意味で、本当ほ時代を描く意図で時代劇と名乗ったのである。
だが、その時期は同時に、傾向映画の時代でもあった。
傾向映画とは、サイレントの末期に、当時の日本の左翼思想の高まりに伴い、反体制的主張を持った映画である。
だが、勿論そのような思想は、権力の弾圧と検閲の対象になる。
そこで、多くの傾向映画は、時代劇として作られた。
大河内伝次郎の『忠次旅日記』、阪東妻三郎の『雄呂血』、月形龍之介の『斬人斬馬剣』など。
そこでは主人公は、社会から阻害され、権力から迫害を受け、追い詰められて孤独で戦う。
これは、少し考えればわかるように、江戸時代のことではなく、当時の共産党を初め左翼の運動家の姿である。
だから、時代劇では実態とは無関係に、江戸時代を過酷な、庶民が生きにくい時代とされるようになったものと私は、思う。
勿論、、伊藤大輔は、一方で時代考証に詳しい人だったので、市川雷蔵が主演した『弁天小僧』等では、江戸の庶民生活をいきいきと描いているが。