拙速とは、普通は良い意味ではないが、以前横浜市に、この「拙速主義」を標榜する方がいた。
Kと言う方で、最後は区長を勤められた。
手八丁口八丁の人で、間違いなく局長になるだろうと言われたが、結局なれずに終わった。
この人のモットーは、「明日に100点を取っても意味はない、今日70点を取ることが重要だ」で、なかなか意義深い言葉である。
多分、民間企業の営業戦略などは、そうしたものだろう。
だが、役所では、こういう発想の人は少々危なっかしく思われるので、なかなか出世できない。
その意味では、区長まで行ったのは誠に大したものである。
拙速と正反対が「完全主義」で、晩年の黒澤明は、この完全主義の虜で、身動きが取れなかった。
黒澤と同じ生まれ年が、山本薩夫だが、この人はしばしば拙速に近いような作品も作った。
彼は、戦後は左翼独立プロで長く監督をしたので、資金など製作条件は不十分なこともあり、それでもなんとか作品として仕上げた。
晩年にメジャーで、大作を作るようになっても、それは同様だったようだ。
松竹で作った『皇帝のいない八月』が、そうで「自衛隊がクー・デターを起こす」というアイディアだけで、シナリオができない内に撮影に入り、「シナリオを直しながら撮影したが、やはり最後は上手くまとめられなかった」と山本は書いている。
また、この時、首相官邸が舞台になるが、松竹大船撮影所は、首相官邸のような権力の館を作ったことがなく、図面を書くのが大変だったそうだ。
この話は、もともと小林久三の原作に大きな問題があった。
クー・デターを起こした元自衛隊員らが、のんびりと九州から列車で上京してくる、という設定がおかしいのだ。
反乱というのは、はじめたらいきなりやるもので、のんびりとやっていたら、権力に押さえ込まれるのは当然である。
映画『皇帝のいない八月』は、出だしや前半はわくわくさせるが、後半は完全に腰砕けになってしまう。
最後は、仕方なく列車を爆破させてカタルシスにしている。その理由は、そもそもの設定がおかしい性なのだ。
黒澤明も、東宝ストの後の昭和20年代、大映や松竹、新東宝等の他社で作ったときは、『野良犬』『静かなる決闘』『醜聞』と言った小品を気軽に作り、その延長線上にグランプリの『羅生門』もできた。
だが、その後、東宝に戻ると次第に大作路線へ向かい、ついに『赤ひげ』では、撮影に1年もかかるようになった。
しかも、その間、スタッフ、キャストに原則として掛け持ちを許さないのだから、異常と言う以外はない。飯の食い上げである。
その結果は、大規模なスケールの作品でないと元が取れなくなり、完璧な大作路線になり、『トラ・トラ・トラ!』での監督解任に後では、5年に1本しか監督できなくなる。
完全主義と拙速のどちらが、結果として良い結果を残すか、これは一概には言えない問題である。