1960年に、大映京都の監督三隅研次が珍しく東京に来て作った現代劇。
作家の船越英二が、山本富士子、野添ひとみ、叶順子の3人の女性との劇を繰り広げるオムニバスドラマ、と気づいたのは野添ひとみの話がかなり進んでからで、最初の話の結末がよく分からず、あの結末はどう付けるのかと思っていた。
仕方ないので、もう一度1話目を見直して、やっと筋が納得できた。
と言うのも、最初の話で、山本富士子は謎の女として出てきて、船越と浅草等の下町で異常に楽しく一日を過ごし、深夜に連れ込み宿でできてしまう。
その外で、ヤクザの高松英郎の車が狙われて射殺される。
山本富士子を家に帰す船越があり、翌日になる。
すると、病院の病室を訪ねる山本になり、ヤクザの組長の妻の母親が死んだとなる。
ここの母親が殺された件がないので、高松英郎の死とどう繋がるのか、その関係が最初分からなかった。
二度目に見ると、高松英郎配下の連中の報復で、山本の母は殺されたことが台詞で説明されていた。
PCをやりながら適当に見ていたので、分からなかったのだ。
要は、すごい美人と一日を過ごしたが、実はヤクザの組のお嬢さんだったという話なのだ。
この話は、必ずしも上手く出来ているとは言い難いが、明るく現代的な山本富士子の自然な演技は、多分彼女の地に近く大映の作品ではあまりなかったものである。
小津安二郎が1958年の映画『彼岸花』で上手く使っている役柄によく似ている。
大映作品で、山本富士子の良さが最もよく出ているのは、市川崑監督の『私は2歳』の平凡な妻だと私は思う。
彼女の主演作品では、私は豊田四郎監督の、高見順の原作の浅草が舞台の『如何なる星の下に』を佃島に変えた映画が大好きである。
ここでは山本富士子は、池内淳子、大空真弓の3姉妹の長女で、佃島でおでん屋をやっている女を演じている。
森繁久弥の好演もあり、評価されていない作品だが、とても面白く、まだ佃に渡しがある時代の最後を描いており、大変興味深い作品である。
この映画の第一話は、浅草が舞台になっているが、1958年に浅草寺が再建されたことのお祝いを兼ねているのではないだろうか。
永田雅一は、大変信仰心の厚い人だったので。
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