清水宏監督作品では、もっとも有名でできの良い1936年の作品。
伊豆を行くバスの運転手で、道を譲る人たちにかならず「ありがとう」と声を掛けるので、「有りがとう」さんと呼ばれている運転手上原謙が主人公。
バスの中にさまざなな人が出てくるが、細かいエピソードの積み重ねであり、ドラマ性はほとんど排除されており、当時のことを考えると極めて斬新な映画。
ジョン・フォードの『駅馬車』にも似ているが、製作はこの方が早く、影響は受けていない。
もちろん、映画のことだが、様々な人が道を歩いていたことにあらためて驚く。
中では、白い服や、頭に荷物を乗せて歩いているなど、道路工事に来ていたという、朝鮮人の一団朝鮮人のことが気になる。
途中で停車した際の、上原との短い会話の中に、清水宏監督の弱い者への同情が表現されている。
桑野通子と東京に売られてゆく娘が、当時の日本の経済恐慌による貧困を背景にしている。
だが、歴史的に言えば、日本の経済が最悪だったのは、昭和初期ある。
それは、昭和6年の満州事変、翌年の満州国建国、さらに12年の日中戦争の開始により、この昭和10年代は軍需景気で良かったのである。
音楽は、『蒲田行進曲』の堀内敬三、彼はこの頃、松竹の音楽監督だった。
フィルムセンター
コメント
旅芸人で出てきた、水戸光子、映画初出演ではないのでしょうか.
この作品、川端康成が伊豆の踊り子に書かなかった、書けなかった出来事を、纏めて書いた作品なのでしょう.
伊豆の踊り子は、修善寺方面から下田へ、この作品は逆で、下田から修善寺方面へのバスでの出来事.
そして結末も逆で、伊豆の踊り子は悲恋に、この作品は結ばれて終わる.
『日本映画俳優全集』によれば、水戸光子のデビュー作は1934年の『大学の若旦那・日本晴れ』になっています。
当時の彼女は大部屋俳優として、いろんな作品に出ているようです。