1963年に公開された吉永小百合、高橋英樹主演の青春映画、原作は石坂洋次郎、監督は西河克己である。
この映画を取り上げるのは、吉永と高橋の二人がアルバイトをする都議会議員選挙の事務所は、大田区池上で、私の親戚の家だからである。
当時は、戦前からやっていた呉服屋を閉めて、何も使われていない状態で、撮影には利用しやすかったのだろう、二回出てくる1階の事務所のシーンも、そのまま使われている。
この店は、今は若い当主がビルを建てマクドナルドが入っているところである。
この撮影は、池上駅周辺で行われたので、その1週間位池上の町は大騒ぎだった。
今見ると、実に埃くさい汚い町である。
1963年3月の公開で、勿論蒲田日活に姉と一緒に見に行って、特に大したものだとは思わなかった。
その後、今回初めて見て、結構良く出来ていると思った。
都議会議員候補の伊藤雄之助とその妻轟夕起子の関係、さらに吉永の友人で、一緒に下宿している十朱幸代と高校の先生の山田吾一、出版社の社員笹森礼子と中年作家下元勉との関係の描き方もとてもよく出来ている。
特によく描かれているのが下元勉と下品で無教養な妻菅井きんで、菅井の上手さには改めて感心する。
轟としては、最後の文芸映画出演で、この後は高橋英樹主演の『男の紋章』での母親役になってしまう。
彼女は、40代と大変若くして死んでしまったので、評価が低い女優だが、大変明るく快活で歌も踊りも、演技も上手い優れた女優だったと思う。
この時、吉永小百合は18歳、人気最高で、この作品の前の正月映画は『青い山脈』、次は大名作の『泥だらけの純情』と作品的にも最高の時代だったが、今見てもとても美しい。
そして翌年の『愛と死を見つめて』は、25億円の大ヒットで、この1963年、1964年というのが、日活、さらに日本映画界にとって最高の時代だったと私は思う。
1964年秋に東京オリンピックが開催され、これを期に、映画は娯楽の王様の座をテレビに譲ることになるのである。
一つ、この映画を見直しても不思議に思うのは、この伊藤雄之助の名前が樺山松雄で、前作の『泥だけの純情』での吉永小百合の役名が樺島真美であり、どちらにも「カバ」が使われていることだ。
前もなんとなく気になっていたが、なぜこのような姓を使ったのだろうか、なにか意味があるのだろうか。
チャンネルNECO
コメント
Unknown
多忙で返事が出来ずにすみません。
師匠のブログにありましたメールアドレスに送りましたがどうしても発信不可で帰ってきてしまいます。
ryuji.amano6954@gmail.com
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お手数をおかけして大変申し訳ありません。
指田氏のメールアドレス変更ありや?
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