『涙くんさよなら』

1966年に公開された日活の青春映画、ジョニー・ティロットソンのヒット曲を元にした歌謡映画。
冒頭、ワシントン郊外とタイトルが出る。
勿論、アメリカで撮影したはずはないが、広い芝生の前庭の家が続くところでジュディー・オングらの子供が遊んでいる。
横浜の根岸か、東京の横田基地あたりで撮ったのだろう。
子供たちが、『聖者の行進』を歌っているのがおかしい。1966年当時では、すでにビートルズも大人気だったのだから、こんなデキシーランド・ジャズを歌うはずはない。
そこに軍人二人が来て、ジュディーに父の死を告げる。時代なので、ベトナム戦争だろうか。
そして、この兵士の知恵で、ジュディーを唖にして世間の同情を買い、米国の慈善団体の力で日本に向けて送る。
その飛行機の中でジョニー・ティロットソンとも会い、彼が『涙くんさよなら』を歌うところでメイン・タイトル。

脚本が倉本聰先生で、監督は後のロマンポルノ最多監督数を誇る西村昭五郎。
彼女の母親探し、それを取材し特番にしようとするテレビの連中。
ジュディーの母親の芸者がいた、柳橋の置屋の女将岡村文子の息子山内賢、その友人でエレキバンド仲間の和田浩次、杉山元、さらに大田雅子(梶芽衣子)らが、ジュディーを大阪に運んで行くことが交錯する。
この辺のロード・ムービーぶりは、石原裕次郎・浅丘ルリ子の大傑作『憎いあンちくしょう』を下敷きにしている。

テレビ取材クルーは、御前一家という本郷淳や柳瀬志郎らの連中で、彼らの正義感ぶりも面白い。
彼らが口にするテレビ局批判は、当時ラジオ局にいて、密かにテレビのシナリオを書いていた倉本の本音が反映されている。
取材にわざと失敗した彼らは、最後関係球場のグランド・キーパーに左遷されるが、撮影した場所は後楽園ではなく、川崎球場。
テレビ局、プロ野球球団では、日本テレビ、巨人軍、後楽園とあまりに露骨なので、川崎にしたのだろうか。

浜松のホテルの庭で、スパイダーズと共に『夕陽が泣いている』、さらに最後京都で会ったが、今の家庭の事情から、タクシーで逃げざるをえなかった実の母親(伊藤ひろ子)どこまでも追いかけて行くジュディー・オングの姿が印象に残る。

この作品は、1966年8月に高田馬場日活で吉永小百合、浜田光夫主演の『私、違っているかしら』との2本立てで見ている。
上に書いた『夕陽が泣いている』と京都の追いかけのシーンは、かなりよくできたシーンだと思う。
撮影は、姫田真佐久である。
ティロットソンは、3回も『涙くんさよなら』の他、『バラが咲いた』も歌い、特出で、湯川れい子さんが出ている。
主演男優の、和田浩次、山内賢は共に死んでいるが、ジュディー・オング、梶芽衣子がご健在で、ご活躍中なのは、誠に喜ばしいことである。
チャンネルNECO

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