『火山脈』

1950年に作られた大映映画で、4年前のアフリカ開発会議の時に、上映したかった作品の一つである。
冒頭に、野口英世の伝記を基にしているが、創作だとの断りが出る。
監督は、安達伸生で、期待された人だったらしいが、若くして事故死したようだ。
確かに正攻法で、かつなかなか面白い、作り方を心得た監督だったようだ。
脚本は劇作家の北条秀司、「菊田天皇、北条法皇」と言われた劇界のボスの一人である。

福島の田舎に生まれた野口清作は貧農の家で、父親の東野英治郎は飲んだくれ、母親の田村秋子が一家を支えている。
精作は、優秀だが、事故で左手が不自由になり、「テンボウ」といじめられるが、それにめげず高等小学校に進学し、東京の医学学校を出て、医師免許を得る。
森雅之の野口清作の師匠が笠智衆で、妻は高野由実、この夫妻が結局、野口の意気、志の高さ、愛嬌に感動して、高利貸から借金してまでも彼の進学、さらには米国留学を実現してくれる。

実際に、野口英世と石川啄木は、共に「明治の借金王」とでも言うべき人間だった。
彼らは、友人、知人から多額の借金をして生活し、時には派手に遊興までした。
だが、それを誰も、野口や啄木に対して「すぐに返却しろ」とは言わなかったそうだ。
むしろ、「返さなくて良い」と思っていたとのこと。
それだけ、彼らには、人間的な可愛さ、愛嬌があったということだろう。

この映画では、野口はアメリカで成功した後、日本に帰国し、故郷に錦を飾ったことになっている。
だが、野口は渡米して、大成功しても一度も日本には戻らなかった。
その理由の一つは、日本での多額の借金がある、という説もある。
森雅之は、野口英世そっくりで適役、いいかげなところもある誇大妄想的な人物をよく演じている。
野口英世というのは、かなり誇大な言説の人物だったようで、そうでなければ明治時代に、アメリカに単身留学し、医学の成果を上げたとはいえ、ノーベル賞候補にまではなれなかったと思われる。
ともかく偉大な人物であることは疑いない。
フィルム・センター

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