神保町シアターの山田五十鈴特集で、亀井文夫監督の1952年の『母なれば女なれば』を見る。
亀井の劇映画では、北海道の炭鉱の話の『女一人大地を行く』を昔見ていて、随分と下手な作り方だなと思ったが、これは結構商業映画的に作られていたのは、東映で配給することが決まっていたからだろうか。
東京大空襲で長男と離れ離れになった山田五十鈴は、鉄道に勤めていた夫は、戦死し、二人の子供をミシン仕事で生活している。
隣室には小学教師の神田隆が妹の岸旗江と住んでいる。
パン屋で民生委員の三島雅夫は、生活保護の打ち切りをエサに山田に言いよって来るが、彼女は敢然と撥ねつける。
生活保護の決定は、今は福祉事務所のケースワーカーの職務で権限だが、この時代は民生委員が措置決定をしたこともあったのである。
行方不明だった長男は、浮浪児の収容施設で見つかり、山田の住居である愛隣荘という福祉施設に連れてくるが、山田になじまず、彼女に求婚している神田には露骨に反感を示す。
山田と神田の仲を学校で三島の息子が揶揄したことから、山田の長男と喧嘩になり怪我をさせ、校長清水元やPTA副会長である三島雅夫は、神田のところに来て、辞職を迫る。
そのとき、山田が来て、
「私は先生が好きです。
後家のどこが悪い。
後家になったのは、戦争の性で、好きでなったわけではない!」と反撃する。
この映画でも三島雅夫は、PTAの役員だった。
映画『青い山脈』の最初の今井正作品でもPTA会長で、19690年代に日活で西河克己監督のときも三島雅夫だったそうだ。
その徹夜撮影の時、監督の西河克己に三島は、「今井正監督の時も、三日徹夜だったですよ」と言ったそうだ。
この人は、イヤラシイ役が専門で、善人を演じたのは、戦前の映画『煉瓦女工』でくらいだろうが、勿論日本共産党員だった。
映画の中で、遊園地の場面が出てきたが、これは今はない多摩川園だと思う。遠くを目蒲線が走っていた。
神保町シアター
コメント
田舎警察署長
警察のトラック(公用車)を自分たちの行事のために貸してくれと陳情に来た地元有力者たちの要求を「私事に貸すわけにはいかない」と筋を通し厳しくはねつけ、また容疑者起訴の所管(縄張り)を巡り対立した労基署幹部を規準をタテにへこました胸のすくスカッとした田舎の警察署長を演っていた(昭和30年日活『警察日記』)。
おかあさん
私もこの映画を今日見ました。「女ひとり大地をゆく」も見てなかったので今回見ました。亀井文夫は記録映画作家なので、やはり劇映画の出来はと言う感じですが、記録性などは両作ともあると思いました。
さて三島雅夫ですが、いつも嫌な役ばかりの印象ですが、一番の善人は成瀬巳喜男監督「おかあさん」の田中絹代の夫役のクリーニング屋ではないでしょうか。昨年見直して三島雅夫がこんなに善人役だったのかと驚きました。今井正の「不信のとき」でも善人とは言えないでしょうが、老年になって加賀まり子に入れあげて子供まで作って破産してしまう役で、情けない役をうまくやっていたと思います。
ありがとうございます
忘れていましたが、結構あるのですね。
いずれにしても上手い役者ですね。
私は大好きなのです。