以前、阿部豊監督の『燃ゆる大空』を見たとき、タイトルに映画科学研究所とあるのに驚いた。「写真科学研究所なら、東宝の元であるPCLだが、映画科学研究所とは何か」と思ったのだ。
何かの間違いではないか、でも本当に存在したのだ。
合資会社映画科学研究所とは、昭和15年に東宝が子会社として作った制作兼スタジオ保有会社だった。
場所は、東宝砧のすぐそば、後に新東宝、国際放映、東京メディアシティとなる場所である。
阿部豊監督の航空大作『燃ゆる大空』を作るに当たり、東宝は海軍から用地の無償払い下げを受け、そこにスタジオを作り、『燃ゆる大空』を作った。
その後、ここは床が土で舗装してなかったことから、山本嘉次郎の映画『馬』でも使われる。だから、『馬』は、東宝と合資会社映画科学研究所の製作になっている。さらに山本の『ハワイ・マレー沖海戦』の特撮でも使われる。
そして、ここは特別映画班の本拠から航空資料教育製作所になり、特別映画班は、旧東京発声の第三スタジオに移動し、円谷特撮の本拠になる。
そして、この航空資料教育製作所は、軍からの委託作品を多数作ることになり、最盛期には総職員230人の大スタジオになる。
そこには、中尾駿一郎、仲沢半次郎、前田実らの若手カメラマンがいた。
そして、彼らは戦後東宝ストライキの中心メンバーになり、さらには左翼独立プロのスタッフになる。
東宝ストが起こったのも、航空資料教育製作所という大きな軍需部門が東宝にあり、敗戦と軍解体で、不要になったので、即首切りになったのである。
この辺は、どこの映画史にも書かれていない事情である。