大島渚が死んだ、80歳。
彼の仲間だった田村孟、石堂淑朗、佐々木守、渡辺文雄、佐藤慶、小松方正、戸田重昌、あるいは何本かの音楽をやった林光らも皆死んでいるのだから、むしろ結構長く生きたと言えるかもしれない。
17年前に倒れて、リハビリ、介護生活になって無理をしなくなったので、皮肉だが結果として長生きになったというべきか。
1960年代中頃、大島渚は、日本の映画好きの若者の英雄だった。
1966年11月に早稲田祭で、早稲田の映画研究会が「戦後映画の展望」というような題で、公演と映画会を開催した。
私はすでに劇団に移って、映研の人間ではなかったが当日は見に行った。
講演は、「映画芸術」の編集長の小川徹で、しきりに増村保造の映画、『兵隊やくざ』の田村高広と勝新太郎は、頭と肉体の二元論と言ったことをよく憶えている。
映画は、大島の『飼育』、中島貞夫の『893愚連隊』、吉田喜重の『秋津温泉』、深作欣二の『誇り高き挑戦』だった。
大島の『飼育』は、当時なかなか上映されなかったもので、担当の中村征夫君が、フィルムを管理していた新橋の会社から一人で担いで来たもので、その重さに音を上げていた。
中島の『893愚連隊』が入っているのは、当時の映研の前委員長だった梶間俊一さんの好みで、その後彼は雑誌社に入ったあと、東映に入って映画『カマキリ夫人』で監督になった。
五月みどり主演のこの愚作を見に行き、「梶間さんがなんというひどい映画を作っているのだ」と思った。
その事を、数年前に脚本家の金子裕に言うと、
「梶間さんじゃ、あの程度で、そのとき祝賀会があったが、作品のできについては誰も何も言わなかった」と言っていた。
さて、大島渚だが、意外にも抒情的であるところが良いと思う。
松竹時代の大阪の西成地区を舞台にした『太陽の墓場』がそうで、その延長線上に『日本春歌考』もある。
彼の作品の最高はATGで作った『少年』で、ここには松竹大船での監督修行の成果もよく現れていると思う。
それに次ぐのが『白昼の通り魔』で、犯罪映画史上の名作でもあり、林光の音楽も良かった。
総じて言えば、1960年代後半が彼の最高作品が出た時代だったと思う。
彼と創造社は、日本映画界では孤立していたが、若者や社会からは支持されているのだという意気があり、次々と問題作に挑戦していた。
また、彼の資質に、問題提起があり、作品を完璧に作るよりは、タイムリーに問題を提示し、見たものの意識を喚起することがあった。
これが時代や社会と上手くシンクロしていれば良い作品になるが、1970年代以降は、空回りになり、ただ騒いでいるだけになったと思う。
その典型が遺作になった『御法度』で、「カンヌだ、たけしだ、松田優作の遺児だ」と話題は多かったが、中身は空疎な気がした。
1970年代以降では、『戦場のメリークリスマス』と『御法度』しか見ていないのは、それについての騒わがし方が大きすぎるのにウンザリしたためである。
『御法度』は、再起作なので見に行ったが、唖然としたというのが正直な感想である。
この時、小林信彦が週刊文春で褒めていて、それもあり見に行ったのだが裏切られ、それ以来小林信彦の書くものは信用しないことにしている。
さて、今回倒れた後の映像を改めて見て、彼は右麻痺であることが分かった。
普通、脳梗塞等で倒れて身体に麻痺が出た時、男は左麻痺、女は右麻痺になるもので、大体8割はそうである。
もちろん、男性でも右麻痺になる方はいて、長嶋茂雄がそうである。
となると、長島がそうであるように、大島渚も、女性的な感覚的、感性的な人だったのだろうか。
コメント
Unknown
>1970年代以降では、『戦場のメリークリスマス』と『御法度』しか見ていないのは、
是非とも「マックス、モン・アムール」を見てみて下さい。
大島渚の本質が、全てこの映画にあると思います。
「朝生」etcでの「TV文化人」の姿も、この映画を見れば合点がゆきますw
もう十年も経てば(否、すでに現時点でも?)、映画作家としてではなく、時代に迎合しただけの単なる道化師and商売人and俗物としてしか、歴史の記憶に残らないでしょう。
時代が生んだ徒花の一人にしかすぎません。
そういう風に言っては
『マックス、モン・アムール』は、見ていないので何とも言えませんが、それだけで全部駄目とは言えないでしょう。
良いものは評価し、ひどいのはひどいと言うのがあるべき批評のあり方でしょうね。
ただ、私も『愛のコリーダ』以降のマスコミの騒がせ方は異常で、大島渚は、宣伝屋になったのかと思ったほどです。
戦後に出た日本の映画監督としては、今村昌平に次ぐのではないかと思っています。
われを重んじよ、鳩を売る少年
アフロアメリカンのコミュニスト詩人、リチャード・ライトの詩の一節に
こういうのがあります。「われを重んじよ、黒人の少年」。意味するところは、
お分かりですね。この一節を創作のバックボーンとして撮られた
日本映画があります。大島渚監督の処女作、「愛と希望…