ルーマニアの女性たち

ルーマニアの女性が、横浜の町にもあふれていた時代があった。

1980年代の中頃で、中区の福富町や長者町あたりに白人の沢山の女性が夕方から夜になると立っていた。

いわゆる街娼で、大柄な白人女性だったが、多くはロシアとルーマニアだと言われていた。

また、日本大通りには有名なドイツ料理レストランのアルテリーベがあり、ドイツ料理の他、民俗衣装の芸人たちによって音楽と舞踊が行われていた。

これも1980年代以降は、ドイツ人ではなく、ルーマニア人だとの噂だった。

ルーマニアの人は結構器用と言うか、芸能には秀でていたのかもしれない。

さて、横浜に溢れていた外人娼婦であるが、松下政経塾出身で綺麗好きの松沢成文県知事のご努力により、白人娼婦は1988年頃一掃されたようだ。

この年秋に、横浜で「神奈川国体」が行われ、国体に外人娼婦はふさわしくないと県知事が思われたからだそうだ。

日本人選手には、日本人女性ということなのだろうか、まあそれも一つの考え方だが。

さらに同じく松下政経塾出で綺麗好きの中田宏横浜市長もご協力されて、黄金町付近にいたアジア人娼婦たちもいなくなった。

誠にご苦労さんというか、文化音痴というしかない。

石田純一ではないが、女性の方は不愉快に思われるかもしれないが、「売春も一種の文化」であるからである。

文化である以上、一掃すれば済むというものではなく、彼女たちは横浜から追い出されて、北関東地方に広がったとの噂であるのだから。

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