田中角栄と毛沢東

MXテレビの「5時に夢中」にジャーナリストの上杉隆が出てきて、衆議院議員鳩山邦夫事務所の秘書時代のことを話していた。

事務所の秘書に課せられるのは、毎日100人の有権者宅への戸別訪問だった。

それも自分の支持者ではなく、反対者宅への訪問だったので、拒否される、水を掛けられるのが常だったそうだ。

それでも毎日行くと、その内家に入れてくれる、玄関に入れる、座敷まで上がれるという風に次第に親しくなってくる。

そこでいろいろ話を聞く、「邦夫はここがだめ」などを聞き、本当の民意が聴取できる。

それを一日、100軒行う。事務所に夜戻ると、その報告書を書いて一日が終わる。

そうして支持者を増やしてゆく。支持者宅を訪問しても票数は増えないが、反対派を訪れ、それをこちら側に来させれば、2票になるというのだ。

これは中選挙区時代の話で、反対者と言っても、それは自民党内の別の派閥の候補者のことである。

中選挙区時代、最大の敵は、反対党の候補者ではなく、自分と同じ党派の別の候補者だった。

反対党は、支持基盤が異なるので、選挙で争う必要はないが、自党の他の候補者は、支持基盤が同じなので、常に激しい票の取り合いになったのだ。

もちろん、それは鳩山邦夫が、田中角栄の事務所にいて秘書だったときに学んだ選挙戦術である。

田中角栄の方針に、「支持してくれなくても良い、反対しないようにすれば、それで目的の半分は達成された」と言うのがあり、これで角福戦争に勝った。

これは、よく考えると中国近代史最大の政治家毛沢東の「中間地帯理論」と全く同じである。

1950年代後半、中国が世界で重要な位置を占めるようになった時、彼は共産主義陣営とアメリカ等の資本主義陣営の間に「中間地帯」を設定した。

当時で言えば、インド、エジプト、インドネシア、キューバ、ガーナ等々のアジア、アフリカ、ラテンアメリカの所謂「非同盟諸国」等である。

そして、これを順次拡大し、できれば自分の方に入れていけば、アメリカ帝国主義との戦いに勝利できると。

言うまでもなく、国民党との内戦での、共産党の農村根拠地を基に、それを次第に都市に向けて拡大し、ついには全土を支配した戦略の世界版である。

こう考えると、アジアの農民政治家として、日本の田中角栄と中国の毛沢東には、極めて強い類似性があったように私には思える。

それは、現在の小沢一郎にまでつながる自民党旧田中派の新中国派としての原点なのだろうと思える。

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コメント

  1. めぐみ より:

    はじめまして、初コメントです!
    はじめまして!めぐみっていいます、他人のブログにいきなりコメントするの始めてで緊張していまっすヾ(=^▽^=)ノ。ちょくちょく見にきてるのでまたコメントしにきますね(*゜ー゜*)ポッ

  2. さすらい日乗 より:

    Unknown
    どうぞいくらでもお気楽にコメントしてください。
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