1959年、大島渚が監督デビュー作『愛と希望の街』の完成試写会が撮影所で行われたとき、幹部の一人は
「これでは貧乏人と金持ちは永遠に和解できないように見える」と言った。
そのとき、編集の杉原よしは、「だって現実はそうじゃないですか」と反論したと言われている。
大島伝説の一つだが、1932年の成瀬巳喜男の最後のサイレント映画は、この魁であったことがわかった。
もちろん、大島はこの作品を見ていないだろうが。
サイレントだが、この日は特別上映でピアノの伴奏がつき、ただ映像のみを見るのとは全く異なる感動があった。
銀座のカフェ(コンパルらしい)の二人の女性、杉子と袈裟子、袈裟子には貧乏画家日守新一が恋人で、杉子にも恋人がいた。
だが、煮え切らない男で、結局故郷で家族が決めた相手と見合い結婚することになる。
杉子は、大金持の男山内光と交通事故で知り合い、付き合って結婚することになる。
これが異常に裕福な家で、山内は仕事は何もしていないようだが、外国車を持ち、贅沢な生活をしている。
もっとも当時は、外車が当たり前で、日本車などほとんどなかったのだが。
多分、大地主か資産家で株で暮らしていると言った人間なのだろう、「結婚したら、僕も会社に就職しますよ」と言う。
戦前は、本当に何もせず、裕福で贅沢な生活をしている人種がいたのである。
昭和初期は、今とは全く異なる自由主義の資本主義社会で、その社会的格差は現在とは比較にならないほどのものだった。
だが、山内家に杉子は入っても、何かと母親と義理の妹からいじめられ、家柄の違いを言い立てられる。
ついに家を出る杉子、すると山内光は精神が荒廃し、自動車事故で大怪我を負ってしまう。
家令の懇願で病院に山内を見舞った杉子は、決然と母たちに言う。
「あなたたちが愛していたのは家柄だけなのです」
そして山内光は死んでしまう。
杉子の忍節子は、これが女優デビューだったらしく、表情はあまりないが、その決然とした姿が感動的で、最後は涙である。
山内光は、松竹で役者をやった後、写真誌『FRONT』を作った岡田桑三で、戦後は東京シネマ社で、記録映画の名作を多数作った波乱万丈の方である。
成瀬巳喜男は、城戸四郎から「小津安二郎は二人いらない」とされて松竹を出て東宝に移籍した。
だが、城戸の真意は、このように金持ちと貧乏人が対立する思想を成瀬が心に秘めていることに不穏なものを感じたからではないだろうかと思った。
神保町シアター