先月、行われた「とうようズ・デイ」で面白かったのは、湯川れい子さんの、
「中村とうようさんは、私やサンディーさんのように、丸顔で胸の大きな女性が好みだったのね」との発言だった。
それで思い出したのは、インドネシアのダンドゥットの女性歌手デティ・クルニアのことである。
1990年に、なにを狂ったのか、神奈川県が突然に「国際交流イベントをやる」と言って来た。
多分、1989年に横浜市が博覧会をやって一応成功したので、県もなにかやろうと思ったのだろう、1990年にサーフ90というイベントをやった。
姉妹都市を持っている県下の各市町村が集められ、その結果いくつかの姉妹都市の代表団を集めて音楽イベントをすることになった。
多分、3千万円位用意して実施したはずで、神奈川県も金があったものである。
その時は、ルーマニアのコンスタンツアの舞踏団、カナダ・バンクーバーのバグパイプ・バンドなどが出て結構面白かった。
全体の構成から、チラシの文章まで、本来は県の国際課の人間がするべき仕事を私がやり、司会者も当時はまだフリーの音楽評論家だった関谷元子さんにやってもらった。
多分、彼女にとっても大きなイベントの仕事では、はじめの方だっただろう。
その時に、姉妹都市とは全く関係ないが、インドネシアのダンドゥットの女性歌手デティ・クルニアを特別に出すことになった。
経緯は憶えていないが、多分関谷元子さんに中村とうようさんから来日公演の話があり、それが神奈川県側にも伝わって当然にOKになったのだと思う。
デティは、東京でも青山のCAYで単独公演をやって結構客が入ったはずだ。
横浜での公演は、なんと2千人収容の県民大ホールで行った。
公演前日の舞台稽古をやっていると、昼過ぎに、デティの一行が来たとの知らせが来た。
ロビーに行くと、中村とうようさんが、デティ・クルニアのスーツ・ケースを手に持って一生懸命に運んでいる。
「とうようさんって、こんなことをする人だったの!」少々驚いた。
デティの公演の様子については、朝日新聞夕刊に出て、大きな話題になり、神奈川県は非常にびっくりしたようだ。
その1年後、パシフィコ横浜のオープイング・イベントとして、ウォーマッド横浜91が8月末に開催された。
金、土、日の3日間で、木曜日の夜から金曜日の早朝には台風が来てテントも飛ばされたのだが、土曜日の午後になるとすごい暑さになった。
サブ・ステージでデティ・クルニアの公演があり、見ていると、とうようさんが飛んできた。
「ステージが暑くて、デティが歌えない、早く舞台に水を撒いてくれ」
すぐに舞台監督の石山君に水を撒くことをお願いしたと思う。
今、考えると結局、とうようさんって、デティのような丸顔のぽっちゃりとした女性が好きだったのだなと思い当たったのである。