音楽が生まれるとき 旬を食べる贅沢者

渋谷の東横本店近くのバー「国境の南」で、北中正和、田中勝則、蒲田耕二さんによるDJがあった。
「ワールド・ミュージック前夜の世界音楽」で、1970年代後半のロックからワールド・ミュージックが出てきた頃の曲20曲。
8月にキングレコードから北中さんの監修で出る、レバノンの大歌手ファイルーツから、今は参議院選挙で多分お忙しいだろ(本人は非改選)喜納昌吉先生まで。

ジミー・クリフが最初に来たとき、渋谷公会堂が昼夜2回ともガラガラだったことやファニア・オールスターズを今はない横浜公園野外音楽堂に見に行くと、なんと演奏ではなく、ステージで手品をやっていたときの驚きなど。
それまでのロック、ジャズ等とは違うポピュラー音楽が、本来のダンス音楽として入ってきたことの話が大変面白かった。
1970年代に北中さんが、初めてロスに行き、あるコンサートに汚い格好で行くと全員がびしっと決めていて戸惑ったことなど、ポピュラー音楽は本来ダンス音楽であり、鑑賞するものではないのだ。
鑑賞音楽になったとき、ポピュラー音楽は堕落する。

だが、この夜に感動したのは、ジミー・クリフの「メニー・リバーズ・トゥ・クロス」とボブ・マーリーの「キャッチ・ア・ファイア」だった。
どちらも、イギリスのアイランド・レコードから最初に世界向け出された盤。
地域では有名だったとしても世界に始めて出る、不安と喜びに溢れていて大変感動した。

ジミー・クリフは、1985年に来た時、よみうりランドでやったのだが、当時日本で人気絶頂だったナイジェリアのキング・サニー・アデの前座に回されたのが不満だったのか、とてもいい加減な演奏で、それ以来馬鹿にしてきた。
ボブ・マリーもレコードは聞いていたが、今ひとつピントこなかったが、この日のレコードは、実に素晴らしかった。
とても抑え気味の演奏で、全くシャウトしていない。だが、びんびんと意思が伝ってくる。

考えて見れば、音楽が新しく生まれるときは、そのコミュニティで、異文化がぶつかるなど社会的に何か動きがあり、それが新たな文化になる。
レゲエもジャマイカ独立があり、それがジャマイカ人のアイデンティティの音楽としてレゲエが生まれたのだ。
そういう新たに音楽が生まれたときの瑞々しさは、既成の音楽を聞くこととは違う感動がある。
大げさに言えば、太宰治の「選ばれてあることの恍惚と不安、二つながら我にあり」という表現に接した感動であろう。

だから、「ワールド・ミュージック」のような、新たな瑞々しい音楽を好む人と言うのは、そうした文化が生まれるときの瑞々しさを求めている贅沢な人であり、それは言わば「旬」の食物を好むような人間であろう。
「旬」を食べる贅沢者め。

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コメント

  1. wab より:

    国境の南
    昨日は、雨の中、お運びいただき、ありがとうございました。
    昔の音楽も、時間を置いてあらためて聞いてみると、以前は気づかなかった面が見えてきて新鮮ですね。
    これからも機会があれば、レコード・コンサートのシリーズを続けようと思っています。