大滝詠一と寺山修司

昨日は、大滝詠一が亡くなられた1周忌だった。
私が知ったのは、12月31日の午後のニュースで、多くの方がそうだったと思うが、実際は30日に亡くなられていたわけだ。
その時、思ったのは彼と寺山修司との共通性だった。
二人は、共に東北の生まれで、父親は早く亡くなっていて、共に母親に育てられ、戦後のアメリカ文化、映画、ポピュラー音楽の全面的な影響の下に自分の感性を養い、作品を作るようになった。
東京に出て来て入学した大学もなぜか早稲田である。
そして、母への思いが非常に強いことも共通している。
寺山のことは有名だが、大滝も実はそうだったようだ。
それは、雑誌『東京人』で、彼が川本三郎、佐藤利明さんと成瀬巳喜男の映画『秋立ちぬ』のロケ場所の銀座付近を歩いた記事を見て「ああそうか」と思ったのである。
成瀬の『秋立ちぬ』は、彼には珍しく、子供の大沢健三郎が主人公の作品である。
彼は、旅館で働いている母親乙羽信子と二人で住んでいて、銀座の街角で可愛い少女と知り合うが、それは大人の世界の現実にすぐに破れてしまうというものだったからだ。
これは、母一人、子一人だった大滝の心情が投影されているものだと私には思えた。
寺山修司と大滝泳一の差と言えば、死ぬまでアメリカの音楽の影響を受け続けた大滝泳一に対して、寺山は晩年は、モダニズムを捨てて日本的なものへ行ったように見える。
だが、それも海外への進出のための「営業土俗」と言ったものだったかも知らないと思うのだ。
本当に寺山修司の本音はどこにあったのか、相当に疑問はあったと思う。

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