ある有力政治家秘書と話していて

大部前になるが、自民党の有力議員の秘書と話していて感じたことがあった。

それは、安倍晋三総理大臣ら、現在の自民党の中心にいる人たちは、現在の日本社会の混乱、退廃の元は、戦後のアメリカ文化と民主主義にあり、それを覆して戦前の日本のような秩序ある社会にしなくてはならないと思い込んでいるらしいことだ。

だが、それは完全な間違いなのである。

なぜなら、大正から昭和になると、日本の社会は、少なくとも東京、大阪等の大都市では、大衆社会が出来上がり、モボ、モガに象徴されるモダン文化、ジャズ、トーキー映画、ダンスホール、洋食等の「退廃文化」が流行した。

「昭和維新」に代表される日本主義的な傾向は、こうした西欧的文化への反発の一つであり、それは2・26事件以降の軍部の攻勢によって戦争体制に収斂していく。

これも昭和初期の社会的退廃に対する一つの浄化というか、秩序化の動きの一つだったとも言えるだろう。

つまり、その意味では、日本社会の退廃、秩序の混乱は実は、戦後にもたらされたものではなく、すでに戦前の昭和初期に起きていたことなのである。

そのことは、小津安二郎の『非常線の女』などに見られるモダニズム、アメリカニズムへの強い憧れによっても明らかである。

だが、戦後、本当のアメリカニズムが占領軍によって日本中にもたらされ、その結果は、石原慎太郎・裕次郎兄弟に代表される「太陽族」映画になった。

このとき、恐らく小津安二郎は、このことを深刻に考えたに違いない。

「この太陽族の若者は、われわれが戦前に犯した罪、つまりモダニズムを謳歌したことの結果なのだ」と自己批判したと思う。

                        

そのことを映画化したのが、1957年の『東京暮色』である。

ここで、小津は、戦前に銀行員だった夫笠智衆を裏切り、若い男と満州に駆け落ちした山田五十鈴の長女原節子の言葉として、

自殺した有馬稲子のことについて、「彼女を殺したのはあなたです」と詰問する。

そして、生前有馬稲子は、「自分には、家族を捨てて男に走った母親の淫蕩な血が流れているのではないか」と悩むのである。

これは一体何を意味しているのだろうか。

言うまでもなく、小津安二郎自身の自己批判である。

「現在の戦後社会の混乱を作り出したのは、自分たちであり、それについては自己批判する」というものだったと私は思うのだ。

さて、安倍晋三首相は、今の日本を戦前のような「美しい国」にできるだろうか。

もちろん、不可能であるのは明らかである。なぜなら、戦前の昭和初期、日本はすでに美しい国ではなくなっていたのだから。

どこかに「美しい日本」があるなどと思うのは、ありえない幻想を追い求めることなのである。

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