初代桜川唯丸は衝撃的だったことがわかった  中村とうようなら「やらない方がいいよ」と言ったに違いない

二代目桜川唯丸の東京公演が行われるというので、早稲田大学大隈講堂まで行く。

そんな広いところでやって平気なの、と思うが、その通りで、大変に盛り下がったイベントだった。

ヒトラーの言葉に、

「集会はなるべく狭いところに、参加者をぎゅうぎゅうに入れてやると盛り上がる」というのがあるが、まさに反対の実例だった。

千人以上入る会場に、50人がパラパラだから、すごい!

 それでも二代目桜川唯丸を見られたのは収穫だったが、初代の桜川唯丸がいかに革命的で、衝撃的であったがよくわかった。

二代目は、初代に比べれば、ごく普通の音頭取りである。

それよりも最低だったのは、前座のシンポで「ワールドミュージックと江州音頭」という題名自体のずれたセンスには感心した。

中村とうよう、朝倉喬司、藤田正らの、関東に河内音頭を伝え、渋谷のライブイン80から東急本店屋上、そして錦糸町のパチンコ屋の二階で行われた錦糸町河内音頭の前史は、もうどうでも良いことになっているのだろうか。

カウルチュラル・スタディーズなる大学で大衆文化を「研究する」とロクなことにはならないという見事な実例である。

故中村とうようさんなら、

「こんなものならやらないほうがいいよ」と言うに違いない。

私も、ウォーマッド横浜を1991年に始めて、91、92は大変に内容も良く、とうようさんもご満足だったが、次第に予算が乏しくなり先細りになると、

「もうやる意味はないよ」と何度も怒られたものである。

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コメント

  1. 淀川徳丸 より:

    Unknown
    状況がわかって残念です…。

    私は二代目の弟子の音頭取り(元唯丸会、現在は脱退)とか音楽とかやってる人です。