『昭和天皇・マッカーサー会見』 豊下楢彦(岩波書店)

この本を読もう思ったのは、映画『終戦のエンペラー』を見たからである。

この映画がいかにいい加減かについては、元教員の尾形修一さんが、そのブログ(blog.goo.ne.jp/kurukuru2180)に詳細に書かれているので、是非お読みただきたい。

                                         

私は、歴史については素人だが、この本で豊下先生が提起された、敗戦直後から新憲法制定、さらに朝鮮戦争と米軍の占領終了の時期に、昭和天皇が行った数々の「政治的行為」については、多分非常に衝撃的だったと思う。

当初、この論文を出されたときは、未公開の会見記録も多く、豊下説は推測に過ぎないとして多くの批判や疑問が投げかけられたそうだ。

だが、その後様々な証言が公開されて、豊下先生の「推測」は、事実だったことがあきらかになった。

この本に収録された論文の趣旨が、「多分、天皇は、そんなことをしていないだろう」という歴史学者の予測を全て裏切るものだったからである。

その最たるものの一つが、昭和天皇が、東京裁判の結果に最大限の賛意と謝辞をマッカーサーに表明したというもので、これ一つでも所謂「東京裁判史観」は崩壊するに違いない。

また、新憲法に対して、マッカーサーが「東洋のスイス」にしようと非武装を主張、吉田茂や外務省が有期駐留だったのに対し、実質的な無期限駐留を強調したこと、特に米軍の沖縄駐留の言質を与えたことは、戦後史を考える上で、非常に大きな意味を持っている。

つまり、東京裁判、新憲法制定の過程で、昭和天皇は、時には首相の吉田茂の頭越しに外交活動を行い、政治的役割を果たすことで、自分の地位を保ったということになる。

別の角度から考えて見れば、天皇家という旧家が、敗戦から新憲法制定という、時代の急激な変化の中で、どのように自らの財産を守ったか、ということになるだろう。

その財産とは、三種の神器であり、昭和天皇自身のお体である。

朝鮮戦争時の天皇の米軍撤退への危惧は、まさに北朝鮮、中国、さらに日本国内の共産党らによって、天皇自身の生命も危機にあったからである。

敗戦直後、日本共産党は、天皇の裁判、処刑も主張していたのだから。

映画『終戦のエンペラー』でも出てくる昭和天皇が、マッカーサーとの最初の会見で言ったという「日本の戦時中の行為のすべての責任を取る」と言うのは、もちろん歴史的には事実ではない。

ただ、昭和天皇のある種の誠実さ、真面目さにマッカーサーが感動したのは事実だと思う。

特に、敗戦と米軍駐留に対して、昭和天皇が、東京を動かず、他国へも亡命しなかったのは、ある種意外な感じを与えたのではないかと思う。

なぜなら、第二次大戦中、欧洲各国にナチスドイツが侵略してきた時、各国の国王は、皆国外に亡命してしまったのだから。

もっとも、当時の日本で、亡命できる国といえば中立国のタイくらいしかなく、制海権、制空権もすべて失われていたので、行きようもなかったのだが。

芝居の世界では、1970年代に佐藤信と黒テントの劇に『阿部定の犬』があり、ここでは2・26事件が成功し、元号が飛鳥と改元される。

誰が天皇になったかは忘れたが、昭和天皇は、満州国に亡命すると言うのがあった。

昭和天皇、そして内大臣木戸幸一、さらに3度も首相をつとめた近衛文麿の関係については、鳥居民の膨大な諸著作がある。

ここでは総ては東条英機と近衛文麿の性にした「木戸・ノーマン」史観が述べられているが、その真偽については、私はよくわからない。

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