東映の石井輝男監督、高倉健主演の大ヒットシリーズではなく、1959年に日活で作られた原作に忠実な作品のようだ。
東映版はトニー・カーチスとシドニー・ポワチエの『手錠のままの脱獄』の頂きである。もちろん、高倉健の歌はなく、真鍋理一郎の荘重な音楽。
監督は松尾昭典で、チンピラ小高雄二と看護婦浅丘ルリ子の純愛映画。
ヤクザの下っ端で、金貸しの取立てに行かされた小高は、喧嘩で刑務所入りになる。
刑期数年の罪で、いきなり最果ての網走に行くのかと思うが、当時はそうだったのかもしれない。
今では刑務所は満員なので、相当の刑期の者でないと網走には行かないはずだと思うが。
そこには、様々な懲役がいるが、劇は、網走からさらに山奥の飯場のような小屋での特別作業所の人間ドラマになる。
受刑者の更生のため心を鬼にしてシゴくいていると言う所長の芦田伸介、人情係長の河上信夫。
その下には懲役の中から選ばれた者がリーダーになり、他を支配するが、当初それは深江章喜だが、すぐにゴマすりの梅野泰靖にとって代わられる。
大阪弁のすけこましの小沢昭一、ヤクザ者の近藤宏、突然喚き出す浜村純など個性派の役者ばかりで、優等生の小高の影はやや薄い。
その分、看護婦の浅丘ルリ子の比重が高く、前の病院の院長の私生児のルリ子を育てることと引き換えに病院を相続したのが大坂志郎で、妻の新井麗子は、血の繋がらぬルリ子につらく当たる。
新井麗子は、日活の初期から、末期までずっといた女優で、大体が主役を虐める有閑マダム役が専門。
そして、最後ついに満期終了の日を迎える。事務室から出た小高を迎えるのは、わざわざ網走まで来た浅丘ルリ子だった。
まことに美しい純愛映画、このシーンに涙しない者がいたら、そいつは人間のクズだ。
もう1本、柳家金語楼主演の『俺は殺し屋だ』を見る。
全く期待しない作品で、金語楼が、香港の殺し屋・苦虫の金蔵と、退職金をスられて自殺しようとしている弱気なサラリーマンの二役を演じるなんとも古臭い筋立て。
間違っても『素晴らしきかな、人生』を思い出してはいけない。
監督は小杉勇、音楽は息子の小杉太一郎である。
話もギャグも石器時代のように古くて参るが、金語楼や刑事役の南利明の台詞とアクションのタイミングの上手さには思わず笑ってしまう。
金語楼の娘が香月美奈子で、普通の清純OLなのでおかしいと思うと、ギャングの巣窟のキャバレーに踊り子として潜入捜査を志願し、色気たっぷりのドレス姿になるなど、観客サービスもたっぷり。
ともかくも昔の商売物映画である。
阿佐ヶ谷ラピュタ
コメント
ちょっと失礼
「網走番外地」と「手錠のままの脱獄」は丸きり別物でございますがね。
いったい指田氏はどこを観て「パクり」と思われたのでしょうか?
追伸
今回ばかり私のこの質問に「シカト」したら指田さんの洞察力の信用性に欠けるでしょう。
悪しからず。
石井輝夫自身が言っているのです
彼自身が、本『石井輝男映画魂』の中で、「前から『手錠のままの脱獄』の設定をやりたかった」と言っています。
もちろん、最初の『網走番外地』だけですが。彼は、原作を「大甘な話でこれではできない」とも言っています。
歌は、もともと作者不詳で流行っていたようです。
Unknown
御返答有難う御座いました。