映画『くちづけ』からデビット・ルヴォーに

フィルムセンターで、『石中先生行状記』と同じ東宝得意の1955年のオムニバス映画『くちづけ』を見る。

一話は、筧正典監督、二話は鈴木英夫、最後の三話目は、成瀬巳喜男の監督で、原作は石坂洋次郎、脚本松山善三、音楽は斉藤一郎。

筧作品は、大学生の青山京子が、未亡人の姉杉葉子の再婚話に揺れる「乙女心」を、同級生太刀川洋一との接吻話に絡める軽い話で、青山は高峰秀子に似ているなと思う。

二話は、夏休みに会津の実家に帰郷していた司葉子のところに、同級生の小泉博がやってきて、数日を過ごすもの。

司の妹が中原ひとみで、彼女は勿論東映なので、他社出演は珍しい。

司と小泉の仲を心配するのが藤原釜足と清川虹子の両親で、

「お前たちも同じだったじゃないか」と笑うのが、祖母の飯田蝶子。

彼女が『会津磐梯山』を2回歌うが、いずれも「ズリ上げ」で前のカットから彼女の歌声が聞こえていた後、飯田が歌うカットに繋ぐのが、さすがである。

これは、山田洋次もよく使うテクニックで、渥美清がギャグを言い、周囲の者が笑う時、渥美のアップに、笑い声を少し被せた後、すぐに爆笑している者たちのカットへとつづけ、カットを盗んでいる。

これは、ギャグから笑う者へに繋ぐと、笑いがはじけないのだが、このように繋ぐと飛躍し弾けた感じになる。

栗山富夫の『釣りバカ日誌』がひどいと思うのは、こうしたテクニックをまったく使っていない点で、ギャグがいつももたもたしていたのである。

最後の成瀬巳喜男作品は、医者の夫上原謙に対して看護婦の中村メイ子が密かな思いを持っていることを偶然彼女の日記で知った妻の高峰秀子が、いろいろと心配する「女同士」。

中村メイ子を八百屋の小林桂樹と上手く結婚させて、高峰は一安心し、めでたしめでたし。

だが、次に来た看護婦は、美人の八千草薫で、これはまた心配せざるを得ないな、と思わせてエンドマーク。

3人とも、カットと繋ぎ方がきわめて正確で、映画の教科書のような作品だった。

電車を乗り継いで、池袋に行き、演出家デビット・ルヴォーのトークに行くが、それは次に書く。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする