東京の大田区雪ケ谷に昔、映画の撮影所があった。
三幸映画社で、戦前は大藤信雄らの漫画映画を作っていた。
同時に、再生フィルムの工場でもあったようだ。
戦後は、独立プロのスタジオになり、そこで近代映画協会の作品を撮影したと新藤謙人が書いている。
「ろくにトーキー設備もないおんぼろスタジオだった」と書いていた。
当時は、大田区の他、目黒の柿の木坂にも柿の木坂スタジオがあった。
それほど、映画製作の需要があったのである。
篠田正浩の最高傑作『乾いた花』は、にんじんプロ作品だったので、松竹大船ではなく、柿の木坂スタジオで撮ったそうだ。
三幸スタジオは、一時はエノケン、榎本健一の演劇研究所として使われたこともある。
だが、1960年代には三幸は映画スタジオをやめる。
今は、トラック・ターミナルになっているはずである。
柿の木坂スタジオの用地は、目黒区に売却され区立の特養ホームになっている。
時代は変わるものである。