1957年東宝
戦時中に東京の上野動物園で、食糧の不足と、空襲で檻が壊され、猛獣が逃げ出して市民に恐怖を与えることを危惧し、動物を殺した実話をもとにしている。
原作は、上野動物園にいた福田三郎で、脚本・監督は山本嘉次郎、主演の象ドンキーの飼育係りの善さんは、榎本健一、エノケンである。
エノケンのほか、課長の小林桂樹、同僚の堺左千夫らの好演もあり、反戦を静かに訴える映画と言うべきだろう。
だが、私には、そう単純には言えないように思う。
なぜなら、監督の山本嘉次郎は、戦時中は『ハワイ・マレー沖海戦』をはじめ、『加藤隼戦闘隊』『雷撃隊出動』の戦意高揚映画を作った人だからだ。
戦後、東宝のストライキの中の集会で、戦時中の映画人の戦争責任が問題とされたとき、山本嘉次郎は、「戦時中の行為を反省します」と素直に謝り、それは潔いものだったと堀川弘通さんは書いている。
だが、松林宗恵の証言によれば、戦後の昭和21年に、松林は戦争から復員して田舎でぶらぶらしていたが、急きょ東宝に呼ばれ、山本嘉次郎、黒澤明、関川秀雄の3人の共同監督作品『明日を創る人びと』の助監督についた。
これは、5月1日の戦後初のメーデーを記念し労働組合運動を賛美した映画で、黒澤は自分の作品リストに入れていないという不思議な作品である。
もし、この映画が組合によって作らされた作品なら、戦時中の『一番美しく』は、軍によって作らされた映画と言うべきであり、黒澤がこれを自作リストに入れているのは明らかに矛盾している。
このとき、松林は山本嘉次郎に向かい、
「戦時中あれだけ戦争協力映画を作られた方が、今度は民主主義映画を作られるのはまずいのではないか。
もう少し時間がたってからにしてはどうでしょうか」と聞いた。
すると山本嘉次郎は
「そんなことは気にするな。
映画監督と新聞記者はオポチュニストで良いんじゃないかね」と言ったという。
本来、山本は、エンターテイメント好きの楽天家、享楽家であり、物事を深く悩んだりしない人だった。
その意味で、戦時中の戦争協力を戦後苦悩し、『静かなる決闘』や『醜聞』、さらに『羅生門』などの作品のモチーフにした黒澤明とは本質的に全く違うところがある。
この映画の主人公で、象を殺せないエノケンの側にではなく、軍との間で悩むが殺処分を遂行する園長や課長にこそ、山本嘉次郎の立場はあったのだと私には思えた。
また、小杉義男が演じる、現実主義者の守衛で、「自分の食糧も動物に与えてしまう職員たちは皆気が変だ!」と言う庶民的なエゴイスト男に一番近いのかもしれない。
上野動物園のパンダが無事子どもを産んだ日に、動物を殺処分した過去を放送した皮肉。
やはり、この平和は良いことなのである。
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