『化石』

小林正樹はあまりにまじめで息抜きがないので苦手で、これはどうかなと思っていたが、意外にも面白かった。

一代で建設会社を作った社長の佐分利信が、欧州旅行に行く。随行は井川比佐志だけでパリを中心に観光をする。

前半は、やや観光映画風だが、これはテレビで放映した後、再編集して劇場公開するという形式をとったためだろう。カメラの岡崎宏三の本では渡仏したスタッフは9人で、他は現地の人間だったそうだ。16ミリで撮り、テレにではそれで放映し、劇場では35ミリにブローアップして公開したそうだ。

テレビは1972年の公開なので、まだ羽田空港からパンナム機でフランスに向かう。娘は小川真由美と栗原小巻で、やはり栗原の演技がおかしいが、妻はもう死んでいるとのこと。

フランスで様々な美術品、特に彫刻に感動するが、過労から倒れ、病院で診断するとガンなのだが、たまたま井川が一人でイタリアに行った時に医者から電話があり、佐分利はガンであることを知ってしまいショックを受ける。彼の目の前に、死神の岸恵子が現れるが、彼女は佐分利自身の内面でもある。

その時、山本圭、佐藤オリエ夫妻からブルゴーニュ地方への旅行を誘われ、そこに岸恵子が山本・佐藤の友人として現れる。

佐分利はブルゴーニュの文物の素朴さに大いに感動し、日本に戻る。この山本と佐藤は当時は恋人だったはずで、非常によく合った演技を見せている。

音楽が武満徹と、岡崎といい、テレビにはない豪華なスタッフの映像と音楽がやはり素晴らしい。

日本に戻ると多忙な仕事が始まるが、故郷の信州に行った時、佐分利は雪の中で倒れ意識を失い、目を覚ますと病院で、医師の神山茂からガンの手術を告げられ、佐分利も覚悟の上で、手術を受ける。

彼にはガンへの恐怖が残り、先輩でガンで闘病中の宮口精二にも会うが、真実を話すことができない。その時、戦友の宇野重吉の存在を思い出す。彼の仕事が何かは分からないが、ホテルで再会したとき、宇野は言う。「その部屋の壁の化石は、数万年前のサンゴの化石で、我々の人生などほんの一瞬のことだ」と。そして、「我々は戦争で一度死んだ人間なので、今は余生と考えればよい」と宇野は言うが、これは戦争で散々な目にあった小林の本音だろう。

この宇野の言葉に佐分利は救われ、今度は井川比佐志を担当にしてペルーの開発をするが、それに合わせて今度は一人で南米を旅行することを決意し、死の恐怖から逃れたことがはっきりする。

これは、俳優座と四騎の会の製作で、映画が駄目になったとき、木下恵介はすぐにテレビに行って大成功し、市川崑も『源氏物語』や『木枯らし紋次郎』で成功するなど、テレビと映画の間を上手くいったり来たりした。それに対してテレビを拒否したのが黒澤明で、このために彼は5年に1本しか映画を作れなくなる。小林の試みは、両者を折衷したものだったが、これに次ぐ者はいなかったのはどうしてなのか。やはり、スタッフへの重荷が大きすぎるのだろうか。

横浜シネマリン

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