川崎市民ミュージアムで、1954年の新東宝映画『叛乱』を見る。2・26事件を描いたもので、力作だが、その中で私の長年の疑問の内の二つがわかった。
一つは、タイトルの後、スタッフ、キャストが出ずにいきなり永田鉄山惨殺の相沢事件が始まり、2・26事件首謀者の処刑で終わった後に、全員の名が出る。
当時としては非常に数が多いし、またどの役者もある意味平等な「群像劇」なので、それで良いのであり、当時の映画のスタイルとしては極めて珍しいやり方である。
当時普通はメインタイトルの後にスタッフ、キャストの名が出たものだ。
だが、最近はほとんどの映画で一番最後にまとめて出す。特に「制作員会」方式の映画に多い。
役者を売り出したり、その名を宣伝する必要がないからだが、見ていてこれは誰なのかわからなくてイライラすることが多い。
メインキャストだけでも最初に出してくれれば、「こいつはどういう役で、どうなるか」等予測できて良いと思うのだが。
もう一つは、昨日見た『舟を編む』の人物もやっていた、食事前の奇妙な仕草である。
両手の親指と人差し指の間に箸を鋏、手を合せて「いただきます」という不思議な動作で、少なくとも東京城南地区の普通の家庭では教えられなかったものである。
嘘だと思うなら、小津安二郎や成瀬巳喜男作品には絶対に出てこない仕草である。
だが、今日の映画の最後、将校と北一輝、西田税に死刑判決が出て、獄で処刑を青年将校たちが待っている。
とある日、魚とリンゴの食事が出て、明日処刑だとわかる。
その時、安藤輝三役の細川俊夫は、この動作をして頭を下げた。
要は、死を迎えるときの祈りだったので、意味があったのだ。
では、今あの奇妙な動作をやっている人たちは、毎日、毎食事ごとに死への祈りを捧げているのだろうか。
ご奇特なことと言うしかない。