大変な熱狂だった開戦期

岸輝子という女優がいた。言うまでもなく千田是也の妻で、俳優座の創立メンバーの一人だった。
私たちが知っているのは、うるさい意地悪そうなおばさん役だが、信じられないことに、戦前の昭和初期では、東京のモダンガールの一人として有名だったらしい。
もっとも、その頃は千田ではなく、やはり築地小劇場の役者だった東明三郎と一緒だったのだが、東明は急死して千田と結婚することになる。


そして、次第に左翼演劇運動に圧迫が加わり、千田は治安維持法違反で投獄されてしまう。
そこでの千田と岸の往復書簡が岸輝子の本『夢のきりぬき』に載っている。

これを読んで驚くのは、かつては左翼演劇で、反戦を訴えたこともあるはずの岸が、1941年12月8日の真珠湾攻撃成功以後の日本軍の戦果に大興奮していることである。
よく知られているように、真珠湾攻撃とマレー沖海戦の大戦果には、英文学者伊藤整も狂喜したのだから、岸輝子が熱狂したのも、無理はないのだが。
千田への書簡の中で、岸は「早く出て来て、この偉大な戦いに参加してくれ」という趣旨のことを再三書いている。
明治以後の日本の歴史の中で、日本国民がこぞって狂喜したのは、この戦時期しかないと言える。
それは、昨年の楽天ゴールデン・イーグルスの日本一を、仙台市や東北地方の人間のみならず、全国民がお祝いし、熱狂したようなものだと思う。

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